Up 大学教育の行政指導が不思議に思われない時世 作成: 2008-05-15
更新: 2008-05-15


    かつて国立大学は「最高学府」であった。 しかし,「法人化」の過程で「言われるがまま」の姿勢に終始したために,いまでは行政からすっかり見下される存在になり,自分自身も「お上意識」をすっかり身につけてしまった。
    行政は,自分たちが大学を指導していかねばどうにもならないと思い,一方大学は,行政からつぎにどんな指導が降りてくるか,息を潜めて見守る姿勢をとる。

    ここで驚くべきことは,つぎのことである:

      行政が大学教育を指導することが,
      大学の中でも不思議に思われなくなった。

    すなわち,大学教育のプロフェッショナリズムを大学教員がいま失っているのである。


    大学の授業は,小・中・高の授業と違って,各教員が独自につくるようになっている。 結果,課程の科目構成は統一感を欠いたものになる。
    しかしこれは,「大学」についての考え方を示している。
    多様性の解発 (release) を「大学」の要諦と見ているわけだ。

    大学のこのあり方は,教員のプロフェッショナリズムで保たれている。
    しかし,このプロフェッショナリズムがいま急速に失われている。 ──「お上意識」がこれと入れ替わる。


    いまは,教育内容に対する行政からの指示をそのまま受け入れることに慣れるステージ。
    つぎは,教育内容に対する行政からの指示を待つようになる。
    そしてついに,教育内容に対する行政からの指示を自ら求めるようになる。