Up 「いじめ」犯罪を醸成する構造 作成: 2006-11-06
更新: 2006-11-06


    「いじめ」の論のはじめとして,「いじめ」を醸成する構造を,ごくごく簡単に押さえておこう。


    「いじめ」は,延々と目的のない態で互いに近接していなければならない集団に起こる現象。
    そのようなものとして,刑務所とか,近所の公園に幼児を連れて集まる専業主婦たちとか,学校がある。

    このような集団では,首領 (人気者) とそれに媚びる人間関係が生じる。 (どのような力学によってこうなるかは,いまは保留としておく。ともかく,現象としてはこれが成立している。) このとき,首領からの気に入られ具合で優劣の階層をつくる心理が醸成され,優劣の階層を証す装置として「いじめ」が用いられる。

    この場合の<気に入られる>には根拠が無く,いつひっくり返ってもおかしくないものなので,いまは優位にある者も (そして首領も) 心は安まらない。 この不安の心理は「いじめ」を熾烈化する。「劣位が定まっていて,そして一緒の行為をしている限り,自分は転落を免れていられる」という無意識が,ここにはたらいている。


    「延々と目的のない態で互いに近接していなければならない」の条件は,つぎのように効いている:
    • 「延々と」「互いに近接していなければならない」は,この状況から逃げられないということ。
    • 「目的のない態で」は,この状況が自分の世界のすべてになるということ。

    外部者には「アホか」「くだらない」となるが,中にいる者は真剣だ。
    油断禁物の状況にあって,つねに緊張し,「引かれ」ないためにハイを演じ,高ストレスを抱える。

    こんな狂気の支配する集団にあって,いじめられ役に落ちてしまった者はまことに悲惨である。
    「いじめ」は陰惨を極めるので,自殺への誘惑に憑かれるようになる。

      註 : この場合の「自殺した」とは,「なぶり殺された」ということである。


    学校の場合は,「いじめ」がまつ残酷な世界に送り込まれるのが子どもということで,ほんとうに悲惨である。 ──翻って,子どもとはずいぶん耐性の強いものだと,感心もさせられる。

      註 : 「いじめ」は,人の行為としてこれより残酷なものを見つけるのは難しいといった内容のものだ。実態が知られてくるとともに,ひとはこのことばにますます陰惨な響きを感じるようになってきている。そして「学校」ということばにも,同じ響きを感じるようになってきている。