Up 「いじめによる自殺」の意味は「復讐」 作成: 2006-11-12
更新: 2006-11-12


    「いじめ」による自殺に対し,「弱さ」の解釈がつけられる。 すなわち,「つらさから逃れるための自殺」という解釈がつけられる。 しかし,「いじめ」による自殺に対する解釈は,「復讐」が当たっている。

    自殺がいじめた側に何らかの罰を与えることになることを思って,自殺する。
    手軽な復讐の方法があれば,それを先ず選ぶだろう。


    アメリカでは,生徒が学校に銃を携えて来て,生徒を殺し,自殺するという事件が,たまに起こる。 銃なら簡単に何人も殺せる。それに,学校は銃から逃げることが困難な場所。

    銃でなければ何人も殺すことはできないし,銃をもってしても,学校の外ではターゲットをまとめて殺すことはできない。 したがって,生徒が銃で何人もの生徒を殺す事件は,校門での所持品チェックを厳しくすることで,かなり減らすことができる。 ただし,完全というわけにはいかない。


    いじめの構造は,アメリカも日本も同じ。
    日本も銃が簡単に手に入るところだったら,「殺してから自殺」があるだろう。

    「自殺」と「殺してから自殺」は,いじめた側への殺意という点ないしその度合いにおいて,大差ない。 「自殺」に「弱さ」の解釈をつける者は,「殺してから自殺」にも「弱さ」の解釈をつけるだろうか。

      「いじめ─報復─自らの死」のストーリーは小説や映画になりやすい。 1970年代のアメリカの小説に「Carrie」というのがあって,映画にもなった。ひどいいじめを受ける女子高校生(いじめるのは学校で人気者の女子生徒とそのとりまき) が,いままでの境遇からは信じられない幸福が目前に示される。そしてその舞台で,いじめグループから天から地に墜ちる仕打ちをされる。自分の持っていた念動力が爆発し,いじめた者たちを殺し町を破壊し,そして自分も死んでしまうという内容。この種のストーリーに対し,報復場面に眉をひそめ,主人公の「弱さ」を感じる者は,まずいない。 ──実際,これは,報復場面で拍手喝采の「仇討ち」ストーリーと変わるところはない。


    実際,「自殺」に「弱さ」の解釈をつけるのは,オモテ向きのこと。
    テレビの番組で「殺意」という暗部をさらけ出すことは,これの影響を考えれば,できることではない。 よって,「殺意」の暗部はオモテの議論では隠される。 マスコミに現れる論がどこか肝心なところを外しているように見えるのも,止む無しとしなければならないところはある。
    しかし,教育現場や学校教育の関係機関では,きちんと暗部をえぐり・とらえる作業をさぼることはできない。