Up 「いじめ」論は「大衆」論 作成: 2009-12-21
更新: 2009-12-21


    「いじめ」の組織論的本質は,つぎの点にある:
    ボスグループに向けて「そういうダサイことはするな」の声が組織の中からあがることは,無い。
    そしてこうなるのは,ひとが《「否」を発声するのは自分ではない》という行動スタイルを採るためである。

    《「否」を発声するのは自分ではない》は,組織における人の基本的行動様式である。
    さらにもしこの行動様式が組織の要素であるならば,「いじめ」は,ネガティブなテーマではなく,組織の根底的なテーマということになる。
    翻って,「いじめ」論を悪者論・愚劣論としてやるのは,ミスリーディングということになる。

    「批判」のよくある形は,悪者論・愚劣論である。 なぜ,悪者論・愚劣論かというと,わかりやすいからである。
    ボスグループを悪者・愚劣にする論は,わかりやすい。 しかしこれは,《組織の中から「そういうダサイことはするな」の声があがることは無い》という重要な点を隠蔽する論になる。

    悪者論・愚劣論は,「大衆」を善にする論である。 しかし,「大衆」を善にする論は,きまって虚偽・欺瞞である。
    「いじめ」論は,「大衆」論としてつくることになる。批判の対象になるのは,「大衆」の方である。