Up 大学側の受験科目減らし,「多様な選抜方法」 作成: 2006-11-03
更新: 2006-11-04


    受験競争の問題は,勉強が受験勉強になること。

    受験競争は,受験に関わらないものを「無駄」として捨てさせる。
    特に,受験科目の減少には,捨てられる科目の増加が応じる。

    勉強が受験勉強になっている場では,「受験勉強をしなくてよい」は「本当の勉強に向かう」にはならない。 「受験勉強をしなくてよい」は「勉強しなくてよい」になるのみ。


    いま大学は,少子化に臨んで,学生定員を割らないように・受験生が減らないようにということで,受験のハードルを低くすることになりふりかまわずの状態にある。 すなわち,受験科目数を減らしたり,無試験入学の枠を拡げるといったことに,いっしょうけんめいになっている。

    法人化後の国立大学では,受験のハードルを低くするための都合のよい口実として,「多様な選抜方法」が使われている。
    困ったことは,これが大学に対する文科省の指導内容になっているということだ。 「多様な選抜方法」は,「中期計画・中期目標」の中にしっかり書いて文科省から点数をもらわねばならない必須項目になっている。

    「多様な選抜方法」は,輸入されたものである。 これを輸入したのは,いまもいぜん残っている欧米に対する劣等感,そして「いいとこ取り」の感覚。
    これを導入することの得失をきちんと (すなわち学術研究的に) 議論した大学は,はたしてあったのか?


    大学は,勉強が受験勉強になる場をそっくり受け入れるばかりでなく,さらにそれを歪める (腐らせる) ことをせっせやる。
    学校教員養成課程では,「言うこととやることが大違い」という形で,このことがはっきり暴露されてしまう ( 集客主義/商売主義で入試方法をいじらない)。 ──勉学・学問の意義を説く立場の者が,行いにおいては勉学・学問をないがしろにする道を邁進する。