Up 「バカ親」には「バカ教員」も含まれる 作成: 2006-11-26
更新: 2006-11-26


      「成長する」は,体質である。
      適切な時期に「成長する」体質をもてなかった者は,後でこの体質をつくろうとしてもひじょうに苦労する。 ──それ以前に,「成長する」体質をもつ契機に関わらないで過ごしてしまう。

      「バカ親」が社会現象になっている。
      「改革」の時代 (負荷を退け,既存を古いものとして捨てる時代) に遭ったために「子どものまんまで大人に」なった者が親になると,「バカ親」になる。
      「家庭教育」を強調しても,肝心の親が「バカ親」であれば,どうしようもない。 「改革派」の教育がこわいのは,「子どものまんまで大人に」の<悪循環>をもたらすことだ。  (「子どものまんまで大人に」の悪循環)

      「バカ親」が現れるということは,同じ世代で「バカ教員」も現れているということだ。
      教員は,教員採用試験に合格してなる。 そして,教員採用試験は,「子どものまんまの教員志願者」が合格することを妨げるほどのものではない。
      そして,「学校教育」を強調しても,肝心の教員が「バカ教員」であれば,どうしようもない。

      学校教員養成課程は,この問題に対応しなければならない。 すなわち,「子どものまんまで大人に」を止め学生の成長体質を改善すること──これに努めて取り組むことが強く求められるわけだ。

        しかし大学も,いまは (「法人化」の流れで)「改革派」の教育の時期にある。 「教育」よりも「学生支援」が受ける。 骨格の確かなカリキュラムよりも,フニャフニャしてどう見ても長くは保たないようなカリキュラムが受ける。