Up 政策的競争主義,評価主義,評価の不可能,退廃 作成: 2007-04-14
更新: 2007-04-14


    <競争>は有利/得益追及型社会 (特に資本主義社会) の要因であり,これが社会の要因としてあること自体を「競争主義」とは言わない。
    一般に「競争主義」は,(競争を不十分と見て) 競争を興し管理しようとする政策的スタンスを謂う。 管理の方法は「評価」である。 よって「競争主義」は「競争主義=評価主義」となる。

    例えば,有名受験校の受験指導は,競争主義/評価主義に立つ。 生徒に試験を課し,成績一覧を示し,成績上位獲得の競争を煽る。
    企業のセールス部署も,ふつう競争主義/評価主義に立つ。 売り上げ成績一覧を示し,成績による報酬格差をつくり,成績上位獲得の競争を煽る。


    競争主義の発動者はつぎのように想う:
      これまで組織員は,ぬるま湯に浸かり,しっかり仕事をしようとしなかった。 「成績によって差別化される」という競争的環境に叩き込むことで,せっせと仕事をするようになる。

    しかし,競争主義が成功するのは成績が簡単に数値化できるものに限られる。仕事一般はそんなものではない。よって,競争主義はたいてい失敗する。
    ここでの問題は,競争主義の<世界観>がどうしようもなく単純だということ。


    「成績評価」は,ふつう組織には馴染まない。
    馴染まないことを無理にやると,どういうことになる?
    組織員にはトップから内容のない「成果」項目が示される。組織員はこの「成果」の形づくりをする。 お互い八百長承知のくだらないことに,時間・労力・金が注がれる。

    人を競争主義/評価主義で上からコントロールしようとする目論見は,人を退廃に向かわせるだけの結果で終わる。
    人を退廃に向かわせるとはどういうことか?
    組織の実質的な仕事に関しては,評価者など存在し得ないのだ。 しかし,評価者が存在し得ないところに評価者を立てるということをやる。
    そんな評価者に評価されようとしてよい仕事に意気込む者がいるとしたら,その者はよほどおかしい。 ふつうは,点数になることを「成果」として提出するだけのことだ。
    また,「自分はこんなふうには堕ちないぞ」と思う者は,はなから競争主義/評価主義に背を向ける。