Up はじめに 作成: 2006-06-18
更新: 2006-06-18


    ここで述べようとするのは,学習論・修行論・教育論である。

    これらは,部分部分で,いつかどこかで誰かのアタマに現れたものの繰り返しに過ぎないだろう。

    実際,学習論・修行論・教育論に,「独創」などあるとは思えない。
    ヒト (一般に生命体) はそれぞれの固有の生活において,固有の学習論・修行論・教育論を形成する。それらは個々に専門的で良質であるはずだ。
    ただそれらは,周辺になにがしかの影響を与えつつも,所有者の死とともに消える。これまでに現れそして消えた命の数だけ,学習論・修行論・教育論が現れそして消えてきた。

    生きるということは,自分の学習論・修行論・教育論をつくることだ。
    気の遠くなる数の学習論・修行論・教育論が,現れそして消えてきたことを想像すると,命というものへの尊敬の念とそして命の不思議さを,改めて感じずにはおれない。