Up 外国体験 作成: 2007-02-02
更新: 2007-02-02


    外国体験も,修行の一つ。

    外国体験の目的は,およそつぎの2つ:
    1. 異種/異文化としての外国を体験して,反照的に<自分>を知る。(「学習」)
    2. 自分の行動範囲を,外国に拡げる。(「国際化」)
    ただし,「国際化」は自ずと「学習」を含む。

    まったく個人的のように見える外国体験も,実は複雑な系として実現している。
    国交関係,自分の国/国民性の国際的信用度,交通通信環境は,この複雑系の要素。

      註 : 日本の中にいるとわからないが,日本人の国際的信用度はひじょうに高い。 よって,日本人は海外旅行をしやすい。


    いまは,旅行コストにすると国内より海外の方が近いこともある。
    海外旅行が簡単にできるようになったことの結果は,「遊び/レジャー」が外国体験の主要な形になるということ。 苦労がない分,外国体験の学習的意義が意識されにくくなっている。

    この<いま>は,いちど相対化してみた方がよい。 ──海を渡るのが命がけであり,海の向こうに何があるか行ってみなければわからない,そんな時代のことを考えてみる。
    いまは,『地球の歩き方』なんかが,異文化の解釈の仕方まで指示してくれる。
    むかしは,自分が解釈していく。 自分が解釈の主体になるから,哲学的/認識論的/存在論的な問題意識がもたれてくる。

      註 : 文明は,便利 (「先人が敷いてくれた軌道に乗ってラクに進む」) を実現する形で進む。 便利は,良質な学習体験の機会をなくしていく。 この結果,人は弱っていく。
    人が弱り続けないでここまで保っているのは,文明の破壊とやり直しが絶えず頻繁に起こっているからだ。 実際,歴史はこのようなプロセスである。


    外国の人間と仕事ないし生活上の関わりをもつ機会を得ること (「国際交流」) 。
    この外国体験は,ひとを<自分発見の学習>に自ずと入らせる。
    学生なら,留学 (長期/短期),ホームステイ体験,ボランティア体験といったプログラムが手近にあって使えるだろう。

      註 : 「国際交流」には,簡単に言って,学習,商売,戦争の3つがある。
    実際の「国際交流」は,この3つが微妙に複合している。 ──海外支援,国連活動,企業の海外進出,留学生制度等々,すべてにこの3つの要素がある。

    「国際交流」は,「いい思いができたから成功,嫌な思いばかりだったから失敗」というものではない。 いい思いができたとは,嫌な思いの経験に失敗したということだ。損をしたのである。
    「国際交流」は,「苦労は金を払ってでもしろ」の場であると心得るのがよい。

      例 : 外国人とのコミュニケーションはおそろしく困難だ。 うまくできていると思っていると,とんでもない形で裏切られる。 しかしこの失敗経験は,コミュニケーションに対する意識と技術を格段に高める。