Up 「論理」の理解が関門 作成: 2007-06-22
更新: 2007-06-22


    学生が授業設計をすると,必ず「ウソを教える授業」をつくってしまう。
    「ウソを教える授業」をつくっているという自覚がない。
    それはウソだ!」と指導者から言われても,なにがウソなのかわからない。

    学生は,「ウソを教える授業」づくりから免れることが難しいにしても,「ウソを教える授業」づくりをしてしまうという事実,そしてそうなってしまう構造を,しっかり理解しておく必要がある。


    「ウソを教える授業」をつくってしまうのは,主題の論理がわからないからである。
    主題が論理的に構成されているものだということがわからない。
    わからないのは,このように教えられたことがこれまでになかったからだ。

    これを教えることが,教員養成課程の教科専門科目の本来の役割。
    しかし,これがうまく機能していない。
    機能していない理由の一つには,教科専門科目を教える側もこの教育の役割がよくわかっておらず,方向不明の授業をやって過ごしているということがある。
    また,いまの学生は,論理的思考をこれまできちんと鍛えられたことがなく,論理的思考はほとんどゼロから教えねばならない。したがって,教科専門科目を授業する方にとっても,ひどくやりにくいという事情がある。


    主題の論理がわからないとき,どんな授業をつくってしまうようになるのか?

    教えようとする主題は,論理的に構成されている。主題には論理的構造がある。
    9時間の授業をつかって指導する主題 (単元) は,たとえて言うと,9階の建物。 下の階から,ひとつずつ授業し,上にのぼっていく。
    ところが,論理がわからない学生は,9階の建物をグシャっと潰して,平屋の建物にする。 この平屋の建物には,もとの建物の別々の階にあったものが,ヨコに並んでいる。
    学生は,このヨコに並んだもののうちから,自分なりの判断で一つ一つ取り出して授業する。 したがって,
    • 論理的にめちゃくちゃな授業
    • 論理的にめちゃくちゃな単元構成
      (本来なら6時間目にくる授業内容を最初の時間に授業する,といった具合)
    になる。

    こうならないためには,主題の論理というものにきちんと向き合ってそれを勉強すればよいわけだが,いまの学生はこれをすることを嫌がる。
    勉強するよりは,自分の判断で授業をつくる方を選んでしまう。