Up 教員養成課程における差別論主題化の必然 作成: 2006-07-09
更新: 2006-07-09


    学校教員という職種は,さまざまな「差別」の主題と関わっていくことになる。
    生徒の成績をつける,個別学習指導,進路指導といった通常の行為からして,既に差別化の行為である。

    通常いわれる「差別」は「人権問題」という括りをされる「差別」であるが,これも多様多岐にわたる。 例えば,身体に障害をもった子どもの受け入れおよび授業に随伴する「差別」の問題。 地域によっては,同和問題といったひじょうに取り扱いの難しい問題を抱える。


    「人権」とか「差別」といった主題は,イデオロギーや「善意の論」がこれを主導してきた。 そこでは「人権という普遍的文化」といった似非概念が,簡単に (無反省の態で) 言われる。 「差別・偏見とは何か?」が無くて「差別・偏見の是正/解消」が唱えられる。
    サイエンス (本質論) のスタンスからの立論はとうぜんいろいろあった/あるはずなのだが,「善意の論」にかき消されている態で,おもてには見えてはこない。



    教員養成課程の学生は,少なくとも一度は,本質論のスタンスで「差別」の主題と向き合う必要がある。 これをしないで,「差別」の問題に主体的に対峙することはできない。 ──「教科教育を主体的に担えるためには,教科の指導内容の本質的理解を要する」と同じ。