Up 「ゆとり教育」問題の捉え方 作成: 2007-02-04
更新: 2007-02-04


    教育再生会議の第1次報告に「ゆとり教育見直し」の文言が盛り込まれた (2007-01-24)。

    「ゆとり教育」は,学力低下や規律低下をもたらすものとして,退場せねばならない。
    では,これを引き下ろして替わりに浮上するものは? ──ここが問題。
    一つを引き下ろしたとき替わりに立つのがおかしなものであるとき,やがてまた「ゆとり教育」に振り子が戻ってくる。

    「ゆとり教育」の反対語は「つめこみ教育」。
    つめ込み教育はダメ出しされる。なぜダメか?
    答えは単純で,つめ込み教育は (すくなくとも公教育としては) 成り立たない。 ──つめ込みをカラダが受け付けないタイプの個が,少なくない割合で存在する。 また,そもそもつめ込み教育は,自発的/自立的に考え行動することを要件とする「自由な個」の育成には適さない。

    「ゆとり教育」は「受験教育」へのアンチでもある。
    受験教育もダメ出しされる。なぜダメか?
    入学試験合格をゴールに組み立てられた勉強は,「合格へ最短距離,合格に向けて最大効果」のテクニカルな勉強になる。 学習主題の深い意義・価値の理解という大事なことが,二の次にされる。探求的活動も捨てられる。 そしてその勉強は,ゴールに達してしまえば無意味になる。

    つめ込み教育や受験教育でない教育の形は,大学の (本来の) 教育に見ることができる。 ──大学の教育は,自発的/自立的に考え行動する個の育成を目的にしている。 ゼミ (「研究」の修行) が,教育の中心に位置づけられる。 授業内容は,教員が自ら決める。 (文科省が定める学習指導要領とか文科省認定の教科書といったものから,大学は自由である。)

    大学の教育の立場は,「ゆとり教育」である。 小中高の教育の形も,学力低下や規律低下の問題がクリアされるならば,「ゆとり教育」であるべきだ。
    しかし,「ゆとり教育」では学力低下や規律低下が必然のものになる。 なぜか?

    「ゆとり教育」では,学習者が自発的/自立的に考え行動する個であることが要件。 実際「ゆとり」は,「学習者に自発性/自立性を許すゆとり」の意味である。
    しかし,「自発的/自立的に考え行動する個」なんてものは,教育の最終ゴールに置かれるものなのだ。 大学生でも,よほど上手に指導をもっていかないと,「ゆとり」は「何もしない」になってしまう。

    子どもが成長する過程においては,「善い・悪い」でしつけねばならない年頃がある。 サンタクロースがいることにした方がよい年頃がある。 アダルトなことに近づかせない方がよい年頃がある。
    同様に,教育に「ゆとり」を組み込める年頃 (発達段階) がある。 あるいは,「ゆとり教育」は,年頃 (発達段階) に応じてその内容が変わる。

    学力低下・規律低下をもたらすものとして「ゆとり教育」が引き下ろされようとしているいま,おかしなものをこれに替わって登場させないために,教育的「ゆとり」についてのしっかりした研究を興す必要がある。