Up 専門性が必要である理由 作成: 2006-05-08
更新: 2006-05-08


    学生には,
      「算数/数学なら,いまの自分でも教えられる」
    という思いがある。
    これは誤った認識 (不遜な了見) である。しかしこのことが学生にはなかなか理解されない。

    学校教員養成課程のほとんどの学生は,家庭教師や塾の講師のアルバイトをしている。 そして,教える科目の中にたいてい「算数/数学」が含まれている。 「自分は高校数学までやっているので,高校数学までの生徒には教えられる」という理屈が彼らには立つ。


    しかし,彼らに,教えている数学の主題についてそれの「なに (what)」(それの意味),「なぜ (why)」(それがここで出てくる理由) を問うと,答えに窮する。 彼らが教えているのは,「いかに (how)」(「これはこうする」)。

    実際,彼ら自身,「なに・なぜ」が導く形で数学を学習する (これが数学の学習法!) 経験をほとんどしていない。学習法をきちんと指導していないのは学校数学の怠慢であり重大な欠陥だが,これが現実だ。


    「なに・なぜ」を抜かした「いかに」の学習は,早晩破綻する。受験対策 (「与えられた問題を解く」) にはなっても,自立的な力の涵養にはなっていない。

    「なに・なぜ」を教える能力は,専門性の蓄積に支えられる形で可能になる。
    「教える」という行為では,「相手に応じて自分の手持ちを構成する」をやっている。手持ちと構成力は,専門性の蓄積によってもたらされるものであり,それ以外ではない。近道は存在しない。
    「専門的なことはわからないが,教えることができている」と言う者は,教えているつもりであるに過ぎない。「教えているつもり」は「教えている」ではない。

    形に現すことができるためには,圧倒的に多くの蓄積を要する。かつかつの知識で教えるということは,あり得ない。(「学力」の意義)


    学校教員養成課程の数学教育の授業でもっとも重点的に行わねばならないことは,学生にこのことを理解させ,専門性の自己涵養へと導くことだ。