Up 要 旨 作成: 2008-02-04
更新: 2008-02-04


    若い世代の「社会人」としての資質が,いろいろなこと/ところで問題にされる。 そして,彼らが受けてきた教育と関係づけるように,論じられる。

    こんなふうに取り上げられることの一つに,「大学生」の様変わりがある。
    勉強しない・勉強できない大学生が,「大学生」の普通になってきている。
    社会も,このような大学生を「大学生」として認知する方向に進んでいる。

    大学は,このような大学生にすっかりお手上げ状態。
    伝統的なコース・授業は,彼らを「大学生」とするコース・授業にシフトされる。 高校の授業の復習が大学の授業になるなどはまだよい方で,中学校・小学校の内容まで蒸し返される。

    なぜ,このようになったのか?
    答えは単純で,大学生になるカラダのできていない者があたりまえに大学に進むようになったからである。
    高校は,大学生になるカラダのできていない者を大学受験生にする。 大学も,財布の事情から,大学生になるカラダのできていない者を競って採る。


    彼らはつぎに「社会人」になる。
    親や教師として,若い世代を指導する者にもなる。
    勉強しない・勉強できない大学生 (これには,学校教員養成系大学・学部の大学生も含まれる) も,一旦社会人になると,勉強する・勉強できる社会人に変わるのか?
    ここでは,このことを考えてみよう。