Up 一つのことを深く 作成: 2006-05-09
更新: 2006-05-09


    大学での学習の意味は,「<研究>という行動様式を自分のものにする」に定めること。 ──このとき,「一つのことを深く研究する」が学習方法になる。


    「一つのことを深く」の理由は,つぎの2つ:

    • 「一つのことを深く」ができると,その力は新しい課題に対しても活きる。(力の転移) ──「いろいろなことを浅く」は,新しい課題に際して力にならない。
    • 人には,いろいろなことに手を付ける時間的・物理的・能力的余裕はない。そして,拡散するより一点に集中する方が,力がつく。

    よって,大学生は安心して「一つのことを深く」に没入してよい。


    では,どの「一つ」を選んだらよいか。
    大学の教科に関しては,基本的に何でもよい (何を選んでも同じ)。
    どれも出会いであり,どれを選んだかで別様の展開が起こる。これを選んだことがよかったのか,別のものを選んだ方がよかったのかは,わからない。(「人間万事 塞翁が馬(註)」)

    いちばんダメなのは,気持ちがフラフラして,どこにも定まらないこと。
    壁にぶつかれば,他のものがよく見えだしてきて,途中で投げ出す。これをやっていると何も身につかないし,悪しき体質になってしまう。


      註 : 「塞翁馬」(『淮南子』18巻,人間訓)
       近塞上之人、有善術者。馬無故亡而入胡。人皆弔之。其父曰、「此何遽不為福乎。」居数月、其馬将胡駿馬而帰。人皆賀之。其父曰、「此何遽不能為禍乎。」家富良馬。其子好騎、堕而折其髀。人皆弔之。其父曰、「此何遽不為福乎。」居一年、胡人大入塞。丁壮者引弦而戦、近塞之人、死者十九。此独以跛之故、父子相保。
       故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也。