Up 「レポートを課される」の意味 作成: 2006-07-08
更新: 2006-07-08


    大学の授業の形の一つに,「レポート作成を学生に課す」というのがある。
    レポート作成は,学生がこれの意味を理解していなければ,無意味な行為になる。 そして,この意味は,あらためて知らすことをしないと学生にはわからない。 レポート作成の意味が学生にはじめからわかっていると考えるのは,間違いである。

    実際,学生は,出欠の点呼に答えるように,レポート課題に対しレポート作成で応える。 科目の単位取得がゴールで,そこに到るための要件充足のように「レポート作成」をとらえる。 「出欠の点呼に答える」と同じなので,「省力と形作り」のスタンスでレポートを作成する。

    レポートを課す意味は何か。
    学生に「(レポート作成によって) 成長しろ」と言う。──これがレポートを課す意味である。 成長の契機・場として,課題を与えているわけだ。

      註 : 「学生の学習の進捗を見る」は,レポートを課す本来の目的ではなく,レポートの副次的利用。


    したがって,レポート課題に対して学生が行うべきことは,「自己成長」を課題としてレポート作成に取り組むこと。
    「出欠の点呼に答える」と「レポート課題に対しレポート作成で応える」の違いは,前者には成長がなく後者には成長があるということだ。 ──「省力と形作り」のスタンスでレポートを作成するとは,<いま/これまでの自分>で反応するということであり,したがって「出欠の点呼に答える」と同じ。(無意味な行為!)

    「自己成長」を課題としてレポート作成に取り組むとは,<いま/これまでの自分>を壊す(殻を破る)ことをここで目指すということだ。目指すものは,カラダの変容。 実際,成長は課題に深く関わることで起こる。──これ以外ではない。


    「自己成長」を課題としてレポート作成に取り組むにおいては,自分の取り組みに自覚的になることが肝心である。 「考える・論じる」ではなく,「<考える>をする・<論じる>をする」が,ここで行うこと。──前者と後者の違いは,後者では<自分>を観る。