Up 「死ぬもよし」: 要旨 作成: 2021-07-09
更新: 2021-07-09


    自由は,正義からの自由である。
    その正義のなかに,「人命第一」がある。
    ひとは,「人命第一」で互いに縛り合う。


    人命に対する危険を知っていてその危険を放置することは,反正義にされる。
    こうしてひとは,危険を放置していないことのアリバイづくりに汲々とする。

    危険に人を近づかせない措置がされる。
    ひとの生きる場所はどこにも危険が潜在しているから,ひとは行動できなくなる。

    「人命第一」の景色は,立入禁止の札と柵である。
    そしてその柵に囲われているのは,危険ではなく,ひとの方である。


    「人命第一」のイデオロギーは,ひどく(いびつ)なものである。

    「人命第一」は,「人の命を安全にするためなら他のすべてのことを損なってもよい」である。
    こうして,危険とみなされた生き物は殺されることになり,危険とみなされた生態系は壊されることになる。

    「人命第一」イデオロギーは,「人命救助」を異形(いぎょう)にする。
    「人命救助」は,その異形を申し分なく表さなければ,反正義にされる。


    「人命第一」イデオロギーの全体主義からの自由の形,それは「死ぬもよし」である。
    「死ぬかも知れないから,しない」に対し,「したいことをしようとした結果の死なら,よし」を措く。


    自由の最後のステージは,己の死を自由にするである。
    そしてこれを実現するのも,「死ぬもよし」である。

    「死にたくない」で生きる者は,延命治療で己を滅ぼす。
    己が無い体で死ぬ。
    自分の死をもてないのである。

    医療は,「人命第一」を己の大義名分にする。
    ひとは,この医療を絶対命題のように思っている。
    これは,洗脳されてこうなっているのである。

    己の利のためにひとを騙している者がいる。
    医療利権──医療・健康産業,医療機関,厚生行政──である。