Up | 大衆は,相対性 (比・確率) を知らない | 作成: 2021-06-23 更新: 2021-06-23 |
この騙しは,大衆の数字オンチを利用している。 数量は,相対的である。 この相対性を,大衆は考えることができない。 騙しは,ここを突く。 大衆は,「本日の新規感染者○人」のニュースに恐怖する。 その○人は,最初は数人,その後数十人,数百人と増えているが,その都度大衆は恐怖してきた。 彼らにとって,数人,数十人,数百人は,ものすごく大きな数になる。 数を相対的に考えられないためである。 数量が相対的であることを知っている者は,「本日の新規感染者○人」に少しも驚かない。 「○人」は「□人に対する○人」であり,「□人に対する○人」は風邪感染症としてリーズナブルな値だからである。 「コロナ自粛」「コロナワクチン」に騙されないための知識は,小学数学 (「算数」) レベルの「比」と「確率」である。 しかしそれなら,「数量の相対性を大衆は考えることができない」というのはおかしくないか? おかしくても現実はそうなのである。 数学科担当の教員は,主題研究をしない。 しないというか,そもそも「主題研究」の概念がない。 彼らは,「自分は教えるものを既に知っている」と思っている。 彼らのやることは,せいぜい「教具研究」の意味の「教材研究」である。 そんな彼らの授業は,<教える>にはならない。 そして,生徒の「わかった・わからない」を誤解するばかり。 こうして,生徒は「比」「確率」を教えられることがついに無い。 「比」「確率」を知らない者が,学校数学のアウトプットになる。 さらに困ったことに,数学教育学というのが,数学教育のじゃまをする。 数学教育学は,数学科を一般能力を陶冶する科目にしようとする。 即ち,「考え方」「問題解決力」「リテラシー」を身につけさせる教科だということにする。 そういう教科にしないと,彼らは業績をつくれない。だから,そういう教科にする。 数学教育学は,「知識を詰め込むばかり」を学校数学のダメな形とする。 しかし学校現場は,上に述べたように,必要知識を詰め込む入口にも立てていない。 そんな 数学を知らなくても授業の格好をつくれる,というわけである。 これは,大衆の「相対性 (比・確率) を知らない」がこのままずっと続くということか? そうである。 改まる契機となりそうなものは,まったく見出せない。 |