Up | サンマの群れのサンマ | 作成: 2021-06-17 更新: 2021-06-17 |
この企業に雇われることは,そのコンプライアンスに従うことである。 コンプライアンスの最新バージョンをチェックするときは,マスコミにあたる。 最新バージョンは,そこに示されている。 政権・行政も,この最新バージョンに合わせていかねばならない。 マスコミは,即ち大衆である。 大衆は,サンマの群れである。 どの方向にどう動くかわからない。 複雑系科学の謂う「創発 emergence」の系である。 しかし,どの方向にどう動こうと,所詮サンマの群れである。 コンプライアンス社会とは,ひとがサンマの群れのサンマとして生きることである。 まわりとの同調に絶えず努める。 ただそれをする。 逸脱してはならない。 ただしひとは,最初からこれができるわけではない。 企業に就職して企業のコンプライアンスに従う者に直ちになれるのは,学校教育の賜である。 学校教育は,家庭環境の凸凹と企業コンプライアンスのフラットの間のインタフェースである。 凸凹を吸収してアウトプットを一様化する。 昔はこのフラットを「基礎・基本」くらいでよしとしていたが,いまはサンマの群れのサンマにまでつくり上げないと仕事をしていないとされる。 実際,サンマの群れのサンマをつくることは,戦後の教育イデオロギーを進めればこうなるというものであった。 そのイデオロギーは,階級闘争イデオロギーがお里の平等イデオロギーである。 階級闘争イデオロギーは,支配階級を倒して人民だけのフラットになることがゴールである。 いま教員は,生徒をフラットに扱わないと叱られる。 教員は,叱られないために,生徒をフラットに扱う。 これは,いかに生徒をフラットに扱っているかで教員同士が競う状況になる。 教員もサンマの群れのサンマである。 <サンマの群れのサンマ>化は,正のフィードバックがかかるばかりである。 正のフィードバックは,螺旋のダイナミクスである。 進行する一方。 こうしてその国は,サンマの国になったとさ。 めでたしめでたし。 |