Up ネット時代は馬脚が露れる時 作成: 2021-07-03
更新: 2021-07-03


    トピック1
    「新型コロナ」に対し,大学は「リモート授業」で応じた。
    ──大学は既に世俗であり,「新型コロナ」にも世俗で対応するところである。

    大学は授業料を返却しないために,カリキュラムで定めた授業を済ませた形をつくらねばならない。
    それが「リモート授業」となるわけである。
    しかしこれは,「大学の授業は,リモート授業でだいじょうぶ」を言ったことになる。


    トピック2
    学校教育法を改正して,デジタル教科書を導入することになった。
    ひとはデジタル教科書を紙の教科書の代替と思っているが,そうではない。
    「デジタル教科書」の意味は,「教科書の終焉」である。,

    デジタル教科書は,数多(あまた)の教育的デジタルコンテンツの中に埋没する。
    それは,教科書である必要がない。

    紙の教科書が教科書であったのは,他の紙コンテンツに埋没するものではなかったからである。
    紙コンテンツは料金が発生し,そして重さと(かさ)がある。
    紙教科書は,行政の補助で価格が無料ないし廉価に抑えられ,そして生徒が持ち運びできる重さ・嵩に抑えられた。
    ゆえに「教科書」であった。
    一方,デジタルコンテンツは,無料のものが溢れていて,そして重さ・嵩を考える必要がない。
    デジタル教科書は,数多の教育的デジタルコンテンツの中に埋没するのである。

    生徒は,自分の学校の教員──デジタル教科書で教える教員──より上手に教えてくれるデジタルコンテンツをさがすようになる。

    生徒は,自分の学校の教員に「意味がわからない (それは何?なぜ?)」の質問をすることを憚る。
    どうしてか?
    面倒なことになるのが,わかっているからである。

    教員は,このタイプの質問に答えられない。
    答えられない自分をごまかすために,奇弁をやり出す。
    生徒はその奇弁に対し納得したふりをしなければならなくなる。