Up | プラトニズム体質 : 要旨 | 作成: 2021-09-02 更新: 2021-09-02 |
ひとは,幻視・幻想する。 プラトニズムは,それら幻視・幻想を実体と定める考え方である。 プラトニズムは,世界認識の最も安直な形である。 例えば,アニミズムはプラトニズムである。 ──あなたがプラトニズムを何か高尚な哲学のように思っているとしたら,それは哲学・哲学者に騙されてきたということである。 プラトニズムが世界認識の最も安直な形である証拠に,大衆の世界認識はプラトニズムである。 「専門家」は,大衆受けが必要条件になる。 よって,プラトニズム体質が「専門家」の必要条件になるというわけである。 学者は,探求においてモデルを立てる。 モデルは,探求をしやすくするために立てるものであって,これ以上でも以下でもない。 モデルの位置づけは,「都合的・暫定的」である。 ところが,プラトニズムが体質になっていると,モデルを実体にしてしまう。 実際,学者にはモデル・フェチが多い。 なぜモデル・フェチになるかというと,<経験>が貧困だからである。 そして<経験>は面倒臭いので,モデルに自閉することを選んでしまう。 <文献にあたる>も,己の自閉を慰撫・肯定してくれるような文献を専ら求めるようになる。 そして似た者同士で群れる。
プラトニズムの傾向は,数学的モデルを用いる分野において,特に顕著になる。 数学は,いわずもがな。 理論物理学は,数学的モデルでしか論の立たない分野なので,モデルを実体にする傾向が強い。 「新型コロナ」では感染症数理モデルの「専門家」にひとが煽動される一方になったが,その「専門家」はモデルを実体にしてしまっているわけである。 人文科学系だと,モデルは「イデオロギー」の様相を帯びる。 人文科学系は──自然科学系と比べてということだが──相対的に「科学」の規準 criteria が立てにくい。 そこで,派閥をつくって,他の派閥と「科学」を争う格好になる。 そしてこのときのモデルの妥当性を巡る論争は,イデオロギー論争である。 実際,彼らにとってモデルは,妥当かどうかではなく,正しいか正しくないかである。 |