Up | ニーチェのお節介──「絶望の克服」 | 作成: 2021-06-24 更新: 2021-06-24 |
意味は洗脳されたものだからである。 こうして,洗脳を取り払うことはニヒリズムになることである: ニヒリズムは,どうなることか。 貧しい意味に替わって,豊かな<自然 presence>が現れるようになることである。
red roses too I see them bloom for me and you And I think to myself what a wonderful world And day's at the morn; Morning's at seven; The hill-side's dew-pearled; The lark's on the wing; The snail's on the thorn: God's in His heaven-- All's right with the world! ところがひとは,ニヒリズムを「絶望」とつなげる。 ニヒリズムを「絶望」とつなげる思考回路は,どうなっているのか。 この者の思うニヒリズムは,観念で記号を捨てているだけで,自分の世界を記号世界にしたままなのである。 記号世界にいて記号を捨てたら,そこは虚無の世界である。 そこで,「これは絶望」だとなるわけである。 ニヒリズムは,バーチャルゲームに浸かって「この世界は無意味」をつぶやくことではない。 バーチャルゲームから脱けるをやって,ニヒリズムである。 そして,バーチャルゲームを脱けるとき,<自然 presence>がそこに現れる。 ニヒリズムが「絶望」とつながるわけがない。 ニヒリズムを「絶望」とつなげる者は,<自然 presence>があることを知らないのである。 「奴隷道徳」「弱者の嫉妬」を論じてニヒリズムを導くことになったニーチェも,ニヒリズムを「絶望」とつなげてしまう者であった。 即ち,絶望の克服へと論を進め,愚論「永劫回帰」をつくることになる。 「永劫回帰」はナンセンスである。 端的に,回帰はどんな単純なシステムにも起こるのが不可能なことだからである。 「永劫回帰」を考えてしまうのは,「時間」と「確率」を考えられないためである。 今日ニーチェの「永劫回帰」を大まじめに取り上げる者がいるとすれば,それはこの手合いである。 簡単な場合で,回帰の確率を計算してみよう。 互いに区別できる 100 個のビー玉を,横1列に並べる。 この並びが何通りになるかというと
並びを1秒ごとにランダム変えるとき,回帰が起こるのに要する時間は,秒数にすると 158桁の整数。
桁数計算なら,これはつぎの計算なので,がんばれば対数関数つき電卓でも計算可能:
= log10100 + log1099 + ‥‥ + log101 さて,地球年齢としていま用いられているのは,46億年。 これを秒に直すと,
= (1.450656 × 1017 ) 秒 158桁の整数をこれと比べるのは,大き過ぎて無理。 そこで逆に,ビー玉何個から回帰にかかる時間が地球年齢では足らなくなるかを,求める。 スターリングの公式
わずか 20個くらいで,回帰にかかる時間が地球年齢では足らなくなる。 ──回帰はどんな単純なシステムにも起こることが不可能,というわけ。 |