Up 数学 作成: 2021-06-26
更新: 2021-06-26


    科学は,自由の方法である。
    数学は,科学のことばである。
    よって,数学は自由の方法である。

    数学の勉強は,科学のことばの勉強である。
    それは,科学が数学をどのようにことばとして使うかの勉強である。
    数学の或る主題Aを勉強することは,Aを使う科学を勉強することである。
    こうして数学の勉強は,科学の勉強である。


    ここに数学教育学というのがあって,数学を別モノ化する。
    これは,数学を「よい社会人であるための道具」だと教える。

    その「よい社会人」は,社会の洗脳システムがひとに洗脳する「よい社会人」である。
    科学は,この「よい社会人」から自由になる方法である。
    よって,数学を「道具」のことばで表現すれば,「よい社会人から自由であるための道具」となる。
    このように,数学と数学教育学は敵対関係にある。


    数学は,「よい社会人」から自由になろうとする者がつくる。
    数学教育学は,「よい社会人」がつくる。

    数学教育学は,数学を自分のレベルに引き摺り下ろそうとする。
    しかし「よい社会人」は,正義マニュアルに従う者であって,科学とは無縁の者である。
    数学教育学はこれであり,数学と構えるようなことはできない。
    そこで数学教育学は,学校数学を自分のレベルに引き摺り下ろそうとする。


    学校教員は,数学教育学からつぎのように洗脳された者である:
     「 数学科は,よい社会人の考え方・問題解決力・リテラシーを陶冶する教科」
    この洗脳は,うまくいく。
    言っていることが,学校教員にとってありがたいものだからである。

    即ち,学校教員は,数学・科学を勉強しないで済む。
    自分の頭で思いつく (どうでもよい) 生活問題を取り上げ,生徒をこれに取り組ませたら,数学を教えたことになる。
    まさかと思うなら,ネットで「生活単元」を検索すべし。