Up | 放射能汚染水海洋放出 : 要旨 | 作成: 2023-08-23 更新: 2023-08-24 |
地下水は,海洋と通じている。 放射性物質をできるだけ海洋に流さないために,デブリを通ってきた地下水はタンクに貯める。 この貯蔵が,物理的に限界に来た。 そこで,タンクの放射能汚染水を海洋放出することにした。 放射能汚染水の海洋放出は,「危険」の理由で認められて来なかった。 そこで,これを「安全」であるとしなければならない。 どうやって? 「薄めれば安全」を用いる。 タンクの中の放射性物質は,トリチウムが主である。 タンクの水を海水で薄めることで,トリチウムを薄める。 トリチウムの「毒性」は,つぎのものである:
これの放射線に DNA が被曝する。」 被曝が実害になるかどうかは,確率の問題である。 「当たり所が悪いかどうか」の確率の問題である。 ──特に「当たり所が悪い」となるのは,幹細胞とか生直細胞の場合。 確率を小さくする方法は,「薄める」である。 「薄めれば安全」の論理は,これである。 しかし強調するが,「確率が低い」は「起こらない」ではない。 「確率が低い」は「安全」と置き換わるものではない。 「危険」を唱えることは可能である。 一方,「当たり所が悪かった」は,調べられるうことではない。 調べられることではないから,「被曝の危険」は論じてもしようがないものとなり,論じないことが社会的マナーになる。 ただし,この社会的マナーへの同調は,愛国心イデオロギーと通じるようなときは,問題にされねばならない。 愛国者なら「危険」なんてことは言わないはずだ,の風潮が醸成される場合である。 現に,「汚染水」のことばに反発して「処理水」のことばを使えといきり立つ者が,一定割合で存在している。 「風評被害」のことばを積極的に使って「危険」を隠蔽しようとするのも,根には愛国心がある。 さて,この放射能汚染水海洋放出だが,これは長く続くことになるものである。 実際,デブリが片付くときまで (それはいつのこと?) ,これは続く。
ひとは,どこまでも自分本位である。 「放射能汚染水海洋放出」は生態系の問題になるものであるが,ひとは「生態系」のレベルでは考えない。 実際,「放射能汚染水海洋放出」の科学的関心は,これが生物進化の一つの契機になるということである。 薄められたトリチウムは,海洋生物の食物連鎖で再び集められることになる。 トリチウムを体内に濃縮した生物は,DNA の被曝によって,突然変異を起こす確率が高くなる。 地球に藍藻が発生して,生物は酸素汚染の環境で生きるように進化した。 これをなぞって「地球にヒトが発生して,生物は放射能汚染の環境で生きるように進化する」を想ってみるのも,ありというわけである。 |