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『足跡 : 三井美唄35年史』, pp.19,20
三井時代に入って先ず着手されたのが,坑内よりの石炭搬出方法の改革である。
従来の各坑手選場より坑外エンドレスによっていたのを電車線運搬に切り替えたのである。
これは,各斜坑底をつなぐ一大ルートの堅入坑道 (奥沢通洞) の掘さくが昭和4 (1929) 年6月に始り,翌年壁面へのセメント吹蒼,6年に総延長 2033M の地底の大動脈が完成し,黒ダイヤが電車で地表へ搬出されるようになった。
また同6年には貨車の引込線が開通し,運転を開始し, 切羽と消費場との直結がなった。
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黒田 (1936), pp.523
斜坑主要捲は全部コース捲で通洞地並に捲下し,之より単線架空式電車により各坑よりの出炭を全部通洞を経て選炭場に運搬している。
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炭車はその容積 2.22 m3で、容量2.0tの鉄製であるが、一部従米の木製炭車 (0.7t) をも使用して居る。
通洞坑口
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