Up 組合 作成: 2024-01-22
更新: 2024-02-23


    路上に座り込みのデモをする。
    警察が人の引き剥がしに取り掛かる。
    このときデモ隊は,互いに腕を組み合う。
    そうすると,引き剥がし作業はひじょうに難儀なものになる。
    その集団が千人規模くらいだと,引き剥がしは諦めるものになる。
    百人くらいでも互いの手足を手錠でつなげば,やはり諦めるしかない。

    引き剥がされないように,互いを繋ぐ。
    これを「スクラムを組む」と謂う。
    また「スクラムを組む」には,「戦線離脱者を出さない」の意味合いもある。


    企業のリストラは,人員の引き剥がしである。
    企業労働者はこれを防ぐために,「スクラムを組む」。
    これが「組合」である。

    引き剥がしに対抗する組合の方法は,罷業 (ストライキ) である。
    操業ストップは経営にダメージを与えるので,経営者がリストラを諦めるかも知れない。


    炭鉱は,石炭を急速に取り尽くしていく。
    生産効率が下がり,経営が悪化する。
    これは,炭鉱の定めである。
    炭鉱の命は,はじめから長くはない。

    経営が傾いた炭鉱が生き延びる方法は,組織を小さくすることである。
    それは,リストラを行うということである’。

    しかし炭鉱にリストラは,無理なことである。
    組合が強く,長期ストライキで応じてくる。
    三井美唄炭鉱のものでは,113日に及ぶ長期ストライキがある。


    そこで,経営の傾いた炭鉱は,リストラを飛ばして,一気に閉山に進む。
    そもそも炭鉱というところはもともと身内意識が強いので,誰かを犠牲にして生き延びるというのは,お互いやりたくないのである。

    特に三井美唄炭鉱は, 「文化的」共同体づくりに入れ込み,それを誇ってきたことが示すように,社風としておっとりしたところがある。
    けっこう大きなリストラを何回かやってきた三菱美唄炭鉱とは,この点で対比的である。,


    組合も,話がリストラを飛ばして一気に閉山に行ってしまうことで,大いに焦ることになる。
    どんな組織も一枚岩でないように,このときの組合も一枚岩ではない。
    強気な者と弱気な者がいる。
    強気な者は,「労働搾取」イデオロギーを身につけた者である。
    弱気な者は,炭鉱経営の傾きを客観的に見てしまう者である。
    しかしこの場合は,強硬派が組合をリードしていくようになる。
    強硬でないことは「個人主義」「日和見」ということになるからである。

      組織はみな「村」であり,「村八分」で個人を縛るところである。
      村の経営は,「正義」を自任する強硬派がリードすることになる。
      ひとは個人主義と見られることを懼れて,強硬派の「正義」に同調する。


    以上のダイナミクスにより,炭鉱は集団自殺という形で終焉する。
    これは何かを間違った,誰かが悪いという話ではない。
    炭鉱が短命でありそして集団自殺という形で終焉することは,炭鉱の定めなのである。

『美唄市百年史』, p.1019 から引用:
三井美唄炭鉱大規模合理化反対集会 (1953年)
(後方の建物は,職員クラブ)