1956年の新入生の学級数が 16 であるのに対し,彼らが6年生になった1961年の校舎図では,6年生の学級数が11。
学級数のこの減少は,文中に「分校設立問題もおきている」とあるように,生徒数増加の緩和のために1957年4月に三井南小学校を新設したことが理由の一つ。
そして理由のもう一つは,閉山がはっきり見えてきた 1959年から, 「希望退職」措置が進められたことである:
大森五郎 (1968), p.19 から部分引用:
在籍労務者 (坑内・坑外) 数──職員数を含まず──の推移
1956年 | 3,351人 |
1957 | 3,411 |
1958 | 3,419 |
1959 | 3,264 |
1960 | 2,674 |
1961 | 2,339 |
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『美唄市史』pp.816,817
三井美唄小学校
<所在地> 美唄市南美唄町西町
<沿革>
‥‥‥
s22.4.1 | 新学制の実施により,高等科を新制中学校に分離,校名を三井美唄小学学校と改称 |
s30.4.1 | 児童数増加に伴う校舎不足のため,三井下3条4丁目に分校設置,4級収容 |
s32.4.1 | 三井南小学校創立開校のため,15学級分離,これに伴い分校廃止 |
‥‥‥
三井南小学校
<所在地> 美唄市南美唄町新富町
<沿革>
s32.1.20 | 本校通学区域が内示される。 |
s32.2.11 | 本校開校日が内示される。 |
s32.3.10 | 校名を三井南小学校と決定 |
s32.4.1 | 設立認可 |
s32.6.22 | 新築校舎第1期工事完成 |
‥‥‥
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