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『美唄市史』,1970. pp.120,121
当時の採炭労働は, 飯場制度によって行なわれ, 飯場制度は友子制度によってささえられており,飯場頭は普通,友子の親分でもあった。
そして,労働者を募集して,生活の面倒をみることになっているが,反面,賃金のピンハネや食費, 生活必需品の不当な高 値販売を行なうなどの中間搾取が常識となっていた。
こうした弊害はやがて批判をまねき,しだいに会社の直轄制度に改められるようになってきた。
また,当時鉱夫の生活は家財道具というものもなく, 転々とヤマを変え,「飲んで食ってチョン」といった生活が多かった。
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