切羽で,
- 炭壁をジブカッターで,下透し
- コールピックや削孔発破で,打落し
ジブカッター jib cutte
コールカッターcoal cutter,チェーンカッター chain cutter とも呼ばれる。
ジブと呼ばれる長方形の枠の周囲を回転するチェーンに多数の刃物をとりつけたもので,のこぎりと似た原理で炭層に溝を作る。
シングルとダブルがある。
コールピック coal pick
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『世界大百科事典』, 1988,「採炭機」
先端のとがった丸棒形の工具(ピックビット)を炭層に押しつけて,圧縮空気で駆動されるピストンで打撃して,石炭を破砕する機械である。
本体は,打撃ピストンと弁装置のついたシリンダーであり,30〜40kgfの人力でピックビットを炭層に押しつければ,自動的にピストンが往復して,毎分550〜1200回程度の打撃を与える。
重量は8〜14kg。
主要な採炭機であるドラムカッターやホーベルは,傾斜20度以下の炭層でないと使用することが困難である。
そのため,急傾斜の炭層では,削孔発破とコールピックによって炭層を掘削して採炭が行われることが多い。
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『足跡 : 三井美唄35年史』, pp.66-68
昭和3年11月に電気の機械が入った。
昭和4年の暮にデタチャプルチェーン(ダルマチェーン) が砂川から人.った。
この取付けは現在なら3時間位でできるものを当時は1昼夜かかつてはめられたのである。
これがヤマの機械化の始まりといってよい。
それからコンプレッサー・ハンマー・カッターと機械化の歩みが始まった。
コールカッタが入って来たのは昭和5年頃でアメリカさんがついてきた。
サリバンの30馬力のC L E 2型というのである。
この時は黒金文治さんがアメリカさんの後山として操作を習った。
アメリカさんがカッターの上にのり "金てこ" 2本持って楽々と動かしている。
代ってやって見てもテコでも動かなかったそうである。
‥‥‥
終戦後. ‥‥‥ 24年暮頃から‥‥‥ 機械化採炭と云うことがクローズアップされて来た。
同時に日本の炭鉱の条件はアメリカ式よりドイツ式に学ぶべきだという意見になり,最初に入って来たのがカッペ採炭である。
これは当時大浜炭鉱でとり入れ研究中であったのを, 当所が全道に先がけてこのカッペと取組んだのである。
本格的にやりだしたのは, 昭和25年7月1日である。
当時10幾つも散在していた切羽を1ヶ年の間に6ケ所に集約し,オールカッペ化した。
このカッペ採炭の開始と共に急速に機械化が行われたが, これは切羽無支柱が最大の原因だといわれる。
この頃福山岬さんが考案した親子カッターがある。
その後これを改良して, ダブルジブカッターとなった。
これが三池製のダブルカッターの前身で, 日本のダブルジブ第1号機ともいえる。
コールモビールドリルによる穿孔
パンワアーコンベヤーとカッペ
ダブル・シブ・コール・カッター
ダブルジブコールカッカーによる透截 (昭和30年代)
ジャイロローダーによる石炭の積込
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