Up 機械化の末路 作成: 2024-02-05
更新: 2024-02-05


    採炭は,つぎのようにする:

    ここで「n 片」はレベルを表し,炭層を上から下へ1片,2片,‥‥‥と区切る。
    そして,幅 [n片, n+1片] の炭層の掘削を終えたら,[n+1片, n+2片] に移る。
    採炭はこのようにして,段々と深くなっていく。

    やがて,採算の取れないところに至る。
    これで,その坑は終わりである。
    炭鉱を続けるには,新たに坑を見つけねばならない。
    見つけられなかったら,お終いである。

    上図の切羽面 (掘削面) は,長さ 100〜200m。
    機械化されると,掘削機械がこの長さの面を横移動しながらバリバリ削っていく。
    よって,機械化することは,坑を短命にするということである。

    さらに,機械化することは,採炭を限定することである。
    機械化すると,機械が働けるところを掘ることになる。
    機械が働けないところは人力で対応するしかないが,ひとは昔には戻れない。
    機械が働けないところは,放置されることになる。

    そして機械化することは,炭鉱を経営できない体にすることである。
    機械化すると,生産量が上がる。
    生産増に需要が伴う限り,企業は成長する。
    言い換えると,成長させられる。
    景気は波であり,需要はつぎは冷え込む。
    大きくなった体は,これに対応できない。
    もとの小さい体に戻ることは叶わないわけである。
     川島 (1933), pp.891,892
    猶深刻なる業界の不況時に際し、失業者を出すに忍びす既設々備を利用し、採炭を繼績しつゝ新 規起業工事を進むるの方策に出でたり。
    こうして,大きくしてしまった体は,自重によって倒れていくのである。

    また,炭鉱の機械化は,機械化に進めない中小炭鉱をつぶしていくことになる。
    機械化によって生産効率が上がることは,石炭の価格を下げることだからである。

    炭鉱の機械化は,以上のようになる。
    実際,このようになった。
    炭鉱の閉山は,何が悪かったという話ではない。
    炭鉱は,こうなるのみなのである。


    実際これは,人の営み全般に及ぶ話である。

    ひとは生活を便利にしようとして,豊かにしようとして,インフラを肥大させる。
    併せて,そのインフラ無しでは生きられない体になる。

    やがて,インフラが機能しない状況が,やってくる。
    炭鉱の機械と同じである。
    インフラが壊れなくても,インフラが機能する条件が壊れていく。
    実際,いま《インフラが壊れる》と《インフラが機能する条件が壊れる》の両方が進行しているわけである。

    インフラと心中する形に自分をつくってきた者は,これでお終いになる。



  • 引用文献
    • 川島三郎「美唄の探炭計晝に就て」, 日本礦業會誌, Vol.49 (No.584), 1933. pp.887-909.