Up マンモス校 三井美唄小学校 作成: 2024-02-25
更新: 2024-02-25


      茂泉 (1956),『足跡』pp.88,90
    それから我等が母校三井美唄小学校,ここは随分変った。
     俺逹が入学した昭和9年4月1日。
    あの頃はたしか屋内運動場もなく,入学式も広教室と称する場所だったな。
    そして教室は僅か6つだったかと思う。
    勿論2部授業で入学早々2番方,弁当持参で10時か11時頃登校して1 時間目は大体屋外で体操の時間,という日が多く,午後からは眠くて仕様がない日のあった事を記憶している。
    俺逹が3年生か4年生の頃に立派になった校門は昔のままだ。
    (注:昭和28年30週年記念で再建)
    ここを入って右側の必ず最敬礼をした奉安殿はなく,落葉松の林跡にも2階建の校舎が建っている。
    広教室だった場所,此処は俺等が卒業する頃は学校の畠だったが,立派な屋内運動場になっている。
    屋内運動場は,俺達が3年生頃だったろうか,新たに建って,空知管内1番天井の高い屋内運動場だと自慢したのと,2つあるわけだ。
     それから,教室は64 とか65 とか聞いている。
    繰返すが,昭和9年に入学した時6 つだった教室が,昭和15年3 月,6年生を卒える時は19,それから10数年を経ったとはいえ,現在は60以上というのだから全く驚くべきだ。
    生徒数は約3100名,先生は70名以上で,小学校としては日本ーで,現在は分校設立問題もおきている
    [註 : 1956年度は,学級数63,生徒数3,418人 となった。]
    1校で児童数が3000名以上なんていうのは良い教育をする為には色々な困難を伴い,種々の障害があるんだそうだ。
    それにやがては教室が足りなくなって2部授業もやらなければならなくなるそうだ。
    俺の経験上,このような可哀想な事はやらせたくないものだと思っている。
     3 年生の時だったな。それ迄美唄の小学校に通学していた高等科生がこの小学校へ通う様になったのは。
    その日の朝礼で校長先生が "今日から本校生徒は900 名になった" と云われたのを記憶している。
     4年生の冬だった。他校選手候補者が選ばれて冬季練習を開始したんだが,その時体育係のK先生が "美唄町内で約1000名もの生徒を有する学校は2つか3 つしかないのに,その中で他校選手がふるわないのは本校だけである。よって今年は今から練習を開始する" と張切っちゃって,俺逹はフラフラになる迄,縄跳やスタート,バトンタッチの練習をやらされたのを思い出す。
    そのためか優勝旗は何本となく集まった。
    話が横にそれちゃったが,あの頃高等科も含めて漸く1000名位だった生徒は,今は6年生迄で3100名位になっている。
    俺達と一緒に入学した1年生は,赤組と白組の2学級だったのが,今年の新入生は14か15学級 とか聞いている [註 : 実際は16学級に] 。
     生徒が多くなり,校舎が大さくなるに従って,廻りの空地も少なくなり今の生徒逹は,俺逹の頃の様に休時間も楽しむこともできないだろうと思う。


    1956年度は,新入生が最も多かった年度である。
    60人を超えるクラスが 16 にもなった。
    したがって,60 × 16 = 960 以上,約 1000人が入学したことになる。


    つぎは,この新入生が6年生になったときの,校舎図。
「三井美唄小学校々舎平面図」(1961)



国土地理院空中写真 (1962)


    1956年の新入生の学級数が 16 であるのに対し,彼らが6年生になった1961年の校舎図では,6年生の学級数が11。
    学級数のこの減少は,文中に「分校設立問題もおきている」とあるように,生徒数増加の緩和のために1957年4月に三井南小学校を新設したことが理由の一つ。

    そして理由のもう一つは,閉山がはっきり見えてきた 1959年から, 「希望退職」措置が進められたことである:
大森五郎 (1968), p.19 から部分引用:
在籍労務者 (坑内・坑外) 数──職員数を含まず──の推移
1956年3,351人
19573,411
19583,419
19593,264
19602,674
19612,339

      『美唄市史』pp.816,817
    三井美唄小学校
    <所在地> 美唄市南美唄町西町
    <沿革>
     ‥‥‥
    s22.4.1 新学制の実施により,高等科を新制中学校に分離,校名を三井美唄小学学校と改称
    s30.4.1 児童数増加に伴う校舎不足のため,三井下3条4丁目に分校設置,4級収容
    s32.4.1 三井南小学校創立開校のため,15学級分離,これに伴い分校廃止
     ‥‥‥


    三井南小学校
    <所在地> 美唄市南美唄町新富町
    <沿革>
    s32.1.20 本校通学区域が内示される。
    s32.2.11 本校開校日が内示される。
    s32.3.10 校名を三井南小学校と決定
    s32.4.1 設立認可
    s32.6.22  新築校舎第1期工事完成
     ‥‥‥

国土地理院空中写真 (1962)
三井南小学校



  • 引用文献
    • 茂泉透 (1956) :「ふるさと三井美唄」, 炭層 39号, 1956.6
        所収:三井美唄鉱業所臨時事務所『足跡──三井美唄35年史』,1964
    • 美唄市史編さん委員会『美唄市史』, 1970.
    • 大森五郎 (1968) :「エネルギー消費構造変革に伴う閉山──炭鉱経営実態の一例に就いて」
        駒沢地理 (駒澤大学地理学研究報告), 4・5合併号, pp.9-28.