Up 南美唄支線 作成: 2024-01-08
更新: 2024-02-06


三井美唄炭鉱 : 鉄道引込

       Wikipedia「南美唄支線」から引用:
    1928年(昭和3年)8月1日、昭和不況の影響を受けて苦しい運営をしていた日本石油光珠炭鉱の共同保有及び経営権の一切を三井鉱山が引き継ぎ、三井美唄炭鉱が発足、操業を開始した。
    石炭輸送手段として国鉄側に専用線の敷設を申請、1931年(昭和6年)11月に敷設工事が竣工、同年12月1日に美唄から三井美唄炭鉱の膝元である南美唄を結ぶ貨物線の営業を開始した。
    その後、石炭需要の高まりとともに周辺人口が増加したことから、1944年(昭和19年)1月25日より旅客営業を開始した。
    しかし、‥‥‥ 1963年(昭和38年)三井美唄炭鉱が操業停止に追い込まれる。
    そして、それに伴う利用激減により、1971年(昭和46年)8月3日に旅客扱いを廃止。
    さらに、三井美唄炭鉱の子会社である三美鉱業が1973年(昭和48年)に閉山したことにあわせ、同年9月9日に貨物営業も廃止され、廃線となった。

      『美唄市史』,1970. pp.558,559
    昭和3年,日本石油株式会社から炭鉱経営を引き継いだ三井鉱山は,翌4年から選炭機や輸送線などの工事を開始した。
    この工事は昭和6年に完成し,輸送線は国鉄に移管され,函館本線の支線として12月1日付けで南美唄駅が開設され,美唄駅長の管理するところとなった。
    南美唄駅は,一般貨物の取扱駅であったが,昭和19年1月5日,一般駅に昇格し,一般貨物のほか旅客輸送も開始された。
    同線は昭和33年5月からディーゼル化され,現在にいたっているが,三井鉱山の閉山とそれに伴う地域人口の減少により大きな影響を受けている。