Up 手掘り採炭 作成: 2024-01-23
更新: 2024-01-23


    「切羽」
      『美唄市百年史』, pp.377,378.
     この坑道内の石炭を掘り出す現場を「切羽(きりは)」といった。
    一切羽の人員は炭層などの条件によって異なるが、二人一組・三人一組くらいの単位
    が普通であった。
    三菱美唄炭鉱では単位が少し大きく、大正8 (1919) 年ころまでの掘進切羽で3人、採炭 (払い) 切羽で6〜10人が普通であった。


    「手掘り採炭」
      『美唄市百年史』, p.377
     人力によって石炭を採掘する初歩的な方法は「手掘り採炭」で、なかでも「つるはし」を用いて露出している石炭を直接採掘し、簡単な坑道を作りながら掘り進むのが最も単純な方法である。
    さきの市川炭鉱の炭層のように厚さ二尺のようなところは、かがむか腹ばいになって掘り進む。
    岩石まで掘るとせっかく掘り出しても「ずり」(岩石)ばかりでは選炭が大変であるし、不経済になる。
     炭質の硬いところでは「たがね」と「せっとう」を用いた。
    金槌よりも重くて大きいハンマーのようなせっとうで、長さ二尺から六
    尺の鋼鉄製のたがねを炭壁に打ち込んで、深さ三尺程度の穴を幾つもあけ、つるはしで炭壁の下部に「すかし」を入れてから穴に火薬を詰め、これを爆発させて石炭を崩すので、この方法を「発破採炭」とも呼んだ。
    左手に持ったたがねに、右手で握ったせっとうを力いっぱい振り下ろす、あるいは下から上へ振り上げてたがねを打つ。
    ほんの少しでも目測を誤ると左手を打ち砕いたり、自分の眉間を打ってしまうから、この技術の修得・熟練にはかなりの年数を必要とした。