Up ヘイト 作成: 2024-04-24
更新: 2024-04-24


    現代人は,蟲をヘイトする。
    除虫剤・除菌剤を求めてドラッグストアーに走る。
    その除虫剤・除菌剤は,蟲を殺したり,いなくしようとするものである。

    ヘイトは,「お前なんか死んでしまえ/いなくなってしまえ」の感情である。
    穏やかでないのは,この感情が人に,さらに国なんかにも,向けられる。
    銃を手にしたらヘイトする相手を撃ちまくる,という代物である。


    ヘイトは,ひとの原初的な感情ということになる。
    ヘイトを抑えるのは,教養だからである。

    なぜヘイトを抑えるのが教養か?
    教養は,<相手を知る>をさせる。
    相手を知ると,共感が湧いてくる。
    共感からさらにリスペクトになることもある。
    こうして,ヘイトできなくなるのである。

    蟲を知ると,蟲をリスペクトするようになる。
    ものすごい存在だからである。
    そして,生態系の中できっちり歯車として機能している。

    人や国も,同様。
    「お前なんか死んでしまえ/いなくなってしまえ」は違う,となる。


    若者がヘイトで高揚するのは,教養が無いからこうなってしまうのであって,どうしようもないことである。
    彼らが教養をつけるのを待つしかない。

    しかし反ヘイトを運動する者は,ヘイトは「人権」を唱えることで抑えるものだと思っている。
    「人権」は,まやかしである。
    まやかしであることは,ヘイトで高揚している若者にも,わかる。
    現前が,「人権」がまやかしであることを,これでもかと示してくるからである。

    人は人権があるからヘイトしたらダメなのではない。
    単純に,その者の事情を知ればヘイトできなくなるのである。

    そもそも,反ヘイトもまた,ヘイトに嵌まっているわけである。
    反ヘイトは,ヘイトに対するヘイトである。
    教養が問題なのは,反ヘイトも同じである。