Up | 「接触確認アプリ」 | 作成: 2020-06-21 更新: 2020-06-21 |
このアプリをダウンロードする者の数が少ないので,
「新型コロナ重篤化と第2波」 「35人」といっても,ここずっと「夜の街」で掘り起こした数が主である。 こんなのは,言えば言うほど「感染者数」のナンセンスがひとに伝わってしまうだけである。 「重篤化」の方も,「感染すれば重篤化だぞ」のトーンには,さすがにひとも<はったり>を感じてきている。 言えば言うほど,飽き飽き・うんざりさせるだけである。 で,本題の「接触確認アプリ」の方だが,つぎの内容を報じた:
わざととぼけているのか,ほんとうにあたまがおかしいのか,はてどっちだろう? ダウンロード数が思わしくないのは,「個人情報がとられるかも」を心配してではない。 心配は,「通知が来てしまったときは,めんどうなことになる」である。 「接触確認アプリ」は,インストールされているスマートフォンどうしが15分間以上,1メートルの距離にあると,互いの情報を記録する。 アプリ発案者は,<15分間以上,1メートルの距離>で「居酒屋の隣の席の他人」をイメージしたのかも知れぬが,現実の生活では<15分間以上,1メートルの距離>は「特定の相手」を意味することになる。 そこで,接触通知が来たら「感染者はあの人か?それともあの人か?」と勘ぐることになる。 この関係は,お互い様である。 自分が勘ぐる相手たちは,自分を勘ぐってくる者たちである。 この疑心暗鬼は,解消できない。 匿名性が,アプリのルールだからである。 しかもひとは,通知がきたからといって検査されに行くものではない。 感染となったらひどく面倒な事態になることを,予想してしまうからだ。 自覚症状がないのに検査されに行く者は,予想される面倒な事態というものが無い者である。 このダイナミクスが,疑心暗鬼をさらに複雑にする。 「あの人は感染を隠しているのではないか?」と勘ぐることになり,自分も他の者からこのように勘ぐられているのではないか,となる こうして,接触を通知された者はずっとわだかまることになる。 <いじめ>の文化のところでは,このわだかまりからいじめが起こる。 「接触確認アプリ」を押しつけてくる者たちは,ひとを<ウィルス媒体>としてのみ見ている者たちである。 政治的立場からこの押しつけをしてくる者たちであれば,ひとが新型コロナに怯えている状態をよしとする者たちである。 彼らは,自分の都合ためには人心が腐るもよしとする者たちである。 ひとはいまのところ,「接触確認アプリ」にそっぽを向いているふうである。 このアプリの厭らしさを,きちんとロジックで押さえてはいなくても,漠然と感じてしまうためである。 実際,「接触確認アプリ」は,これに加担しないのが正しいのである。 |