Up 「コロナ全数把握見直し」──その含蓄 作成: 2022-08-25
更新: 2022-08-25


読売新聞, 2022-08-25


    馬鹿な戦争は,マスコミが煽って起こる戦争である。
    マスコミの煽りに大衆が高揚し,これに行政が追従し,そしてこれがフィードバック・ループする。
    よって,馬鹿な戦争が終息する形は,《マスコミが煽りを続けられなくなる》である。

    この度,政府が「全数把握」の取りやめを発表した。
    「知事が判断」の体裁だが,全数把握取りやめの要求を表明してきた知事が何人かおり,そして全数把握は欠けが生じれば意味がなくなるものなので,全数把握はこれで(しま)いとなる。

    「4回ワクチン接種」をデモンストレーションしてきた首相が感染により隔離措置でリモート発表というのも,馬鹿な戦争にふさわしい。


    馬鹿な戦争は,戦時体制が保たなくなって終息する。
    「新型コロナ=馬鹿な戦争」の戦時体制は,つぎの二つで構成される:
    1. 大衆の新型コロナに対する恐怖
    2. 感染者の隔離
    この体制は,新型コロナが「ただの風邪」(インフルエンザ並み) の正体を現し出すとき,保たなくなる。

    即ち,新型コロナに恐怖する大衆が,<救急車搬送を求める><病院・薬局に殺到する>を大勢でやることになると,隔離体勢の破綻にとどまらず,医療機能全体が破綻する。


    「新型コロナ」は,授業料が割に合わないながらも,「馬鹿な戦争」がどんなものであるかを改めて学習させてくれた。
    大衆は相変わらず学習せず,これからもマスコミに洗脳され,「馬鹿な戦争」にその都度嵌まっていくだろうが,歴史の学習を通じてマスコミや大衆について一定の知見を得てきた者には,大いに得るところがあったろう。

    マスコミはといえば,引っ込みがつかない立場なので──戦犯にさせられないために──全数把握とりやめに対し異論をつくるみたいなことをちまちまやり続けるだろうが,先は見えている。
    彼らの最後のあがきどんなものになるかも,しかと見届けるとしよう。



    註.  大衆が,救急車搬送を求めたり,病院・薬局に殺到するとは
    「新型コロナ」が学習させてくれたことの一つに,医療利権の大衆洗脳の優秀さがある。
    今日ひとは,病気は病院や薬が治すものだと思っている。
    翻って,病院や薬を求めなければ治らないものだと思っている。
    病気は,体が治すものだということを知らないのである。
    実際,医療利権は,大衆が「病気は体が治す」を知ったら,生業が立たなくなるわけである。

    新型コロナは,ただの風邪である。
    風邪を引いたら,体を休め,滋養をしっかり取るのみ。
    熱中症警報の時節に病院に殺到し,診察まで長時間待たされる (さらに待合室での収納が成らず外で待たされる) とか,救急車搬送を求め,たらい回しされる救急車の中に長時間閉じ籠められるとかは,自殺行為である。

    昔は,ひとは風邪への対処を知っていた。
    いまの者は,これを知らない。
    これは,医療利権の大衆洗脳が功を奏したということである。
    繰り返すが,医療利権は大衆が「病気は体が治す」を知ったら,生業が立たなくなるというものなのである。