Up | 戦争メディアは戦犯の身をどのようにごまかすか | 作成: 2023-03-30 更新: 2023-03-30 |
「新型コロナ」は,最初から「ただの風邪」だったのである。 「新型コロナ」を「コロナ禍」にしたのは,メディアである。 メディアは,「新型コロナ」をパンデミックにしてひとの恐怖心を煽り,「馬鹿な戦争」へと進ませた。 「コロナ禍」は「風評被害」であり,メディアがこの風評をつくった。 メディアは,「馬鹿な戦争」のA級戦犯である。 「新型コロナ」がただの風邪であることは,はじめから見えていた。 感染・死亡の程度から,インフルエンザ並みであることがはっきり見えていたのである。 しかし,経験値の低い者と,自分で考えることをしない者が,メディアの煽動に乗ることになった。 そして,このような者たちが,大衆のほとんどだったのである。 「新型コロナ」は,「馬鹿な戦争」が繰り返される理由を見せてくれた。 「新型コロナ」をパンデミックだと煽るメディアは,ワクチン接種を煽動した。 ひとは,簡単に煽動された。 風邪は「体を布団で暖かくくるみ,安静にして,滋養をつける」で治すものなのだが,いまこれを知る者のほとんどいないことが,これでわかった。 医事・薬事利権は,「医者と薬に頼る」をひとに洗脳してきた。 「医者と薬に頼る」に洗脳された者は,医者・薬とは何かを考えることを知らない。 メディアの煽動に乗った者は,どのくらいか? ほとんどであることを,つぎのグラフは示す。 これが,「馬鹿な戦争」の土壌である。 「馬鹿な戦争」は,いつでも簡単に起こるというわけである。 この度,「ワクチン接種」はつぎのようになった: ひどく小さい扱いだが,この扱いになるのは読売新聞にとって不都合な内容だからである。 ワクチン接種は,「ワクチン禍」を生んだ。 「ワクチン禍」は,「コロナ禍」とはひとの受け取りが違ってくるところがある。 「コロナ禍」は,大衆の自業自得の面がある。 実際,コロナ禍は,メディアと大衆の共作である。 大衆はこれを意識しているので,「コロナ禍」の責任をどこかに問うということはしない。 責任を問えば,自分に返ってくるからである。 ──大衆は,各種「警察」をやってきた。 一方,「ワクチン禍」では,大衆は<指導されてワクチン接種をした者>の位置づけになる。 そして,ワクチン接種の煽動・指導には,「死ななくていい者を死なせた」の含蓄が付くことになる。 したがって「ワクチン禍」については,大衆は煽動者・指導者に責任転嫁することになる。 煽動者・指導者は,これをかわさねばならない。 煽動者・指導者は, 「実施されたワクチン接種は必要なものだった」とは言えない。 「新型コロナ」は「ただの風邪」だったからである。 ワクチンは「少なくとも若年層には無用」だったからである。 で,どのような物言いになるか。 読売新聞では,つぎのようになった: 「あの状況では,まっとうな者はみなワクチン接種を必要と定めた──斥けた者は異常者だけ」を仄めかす。 これは,詐術である。 論外を引き合いに出して,自分を守ろうとする。 《論外を引き合いに出して,自分を守ろうとする》──これは,末期症状のメディアのすることである。 実際,新聞の凋落は顕著である。 |