Up <生命体/能動体>の出現 : 要旨 作成: 2017-10-11
更新: 2017-10-15


    生命の出現は,不思議である。
    不思議は,「なぜこんな精巧なものが出現できたのだろう?」である。

    この「出現」は,「自ずと出来上がった」で考えるしかない。
    作ろうたって,作れるシロモノではないからだ。
    実際,体の組織の電子顕微鏡画像は密林の中のようであり,自ずと出来上がった(てい)である。

    この「自ずと出来上がった」は,「突然変異と自然選択」の進化論だと説明が苦しい。 「突然変異と自然選択」の進化論だと,「偶然出来上がった」になるからである。
    偶然でこのようなものが出来るわけがない」の論法に,「無限の猿定理 infinite monkey theorem」の逆用がある。
    宇宙の年齢だけ時間をかけても,偶然ではとても出来上がらない──猿のデタラメなタイプでシェイクスピアの『ハムレット』が出来上がってしまうようなもの」というわけである。

    しかし,現に有るのだから,しようがない。
    「自ずと出来上がった」にするためには,「偶然出来上がった」の進化論を変更するしかない。
    即ち,「意外と簡単に出来上がってしまう」の進化論に。

      「意外と簡単に出来上がってしまう」の論者は,プリゴジンとカウフマンが有名である。

    「意外と簡単に出来上がってしまう」が実験で示されたことはまだ無いが,この論を当てにするしかない。


    「生命の出現」がどのようなものであったかは,だれも知らない。確かめようがない。
    だれも知らない。確かめようがないことを書くのは,フィクションを書くことである。
    本論考は,「生命の出現」のフィクションを書くことを,ここでやってみることにする。

    文体は,すべて断言調にする。
    学術論文は,「考えられる」「否定できない」「論理/理論的可能性としてあり得る」「‥‥‥でないとはいえない」等の言い回しを用いてフィクションを書くが,断定できないことがお互いはじめからわかっているところでのこのような言い回しは,ただ煩わしいだけだからである。