Up | 「自発的対称性の破れ」 | 作成: 2023-04-10 更新: 2023-04-10 |
わたしと他の者は,立場が同じである。 「なぜわたしはわたしなのか」の疑問をもつことも,皆同じである。 この問題は,哲学者が好きな「意識」の問題ではない。 <わたし>は,カラスにもある。 ミミズにもある。 動物にあるのだから,植物にも<わたし>を考えることになる。 <わたし>は,動物と植物の同じ祖にも当て嵌めることになるからである。 「なぜわたしはわたしなのか」は,「意識」の問題ではない。 「なぜわたしはわたしなのか」の疑問は,どんづまりになる。 このどんづまりから先に進む方法は,「空理空論」しかない。 そこで,「空理空論」をやってみることにする。 「空理空論に進んで何の意味がある?」 ここからは,意味を求めて進むのではない。 「何か論理が立つか?」の構えで進むとする。 アブストラクトな数学をやる感じである。 空理空論は,どこから始めるか? 「他の者を<わたしであり得た者>に見てしまう」を出発点にする。 「他の者を<わたしであり得た者>に見てしまう」は,シメリトリー (symmetry, 対称性) を見るということである。 ここで「わたし」を,この対称性が破れた現象と定める。 この「対称性の破れ (symmetry breaking)」は,超越者のわざのようには見えない。 系としてのシメトリーが,自発的に破れたと見ることになる。 こうして「自発的対称性の破れ (spontaneou symmetry breaking)」のことばに至る。
「自発的対称性の破れ」のことばは,どこかで見たような。 そう,素粒子論で出てくる。 しかしこのことばは,「偶然」に論理/理論を与えるポテンシャルを持っている。
というわけで,「なぜわたしはわたしなのか」の空理空論ステージとして,ここから「自発的対称性の破れ」をしばし探ってみることにする。 |