Up 「なぜ わたしは わたしなのか」の解決 作成: 2023-04-23
更新: 2023-04-23


    ひとは,わたしが入れ替わる物語が好きである。
    なぜか?

    ひとは「なぜわたしはわたしなのか」でモヤモヤしている。
    わたしが入れ替わる物語は,このモヤモヤをすっきりさせてくれる。
    「入れ替わったっていいじゃないか」というわけである。

    実際,「なぜわたしはわたしなのか」 の問いは,わたしというものを「入れ替わったっていいじゃないか」と考えているわけである。


    ひとは,物と物が入れ替わる話はつくらない。
    物は,「入れ替わる」を考えるものではないからである。
    実際,この物とあの物が入れ替わるとはどういうことなのか,想像のしようがない。

    これに対し,ひとは,2体のわたしが入れ替わる話はつくる。
    わたしを宙に浮いた存在のように,想像できるからである。
    実際,いまの時代にも「霊魂」の存在を信じている者は多いが,これはわたしに対する<宙に浮いた存在>の想像が昂じたものである。


    「なぜわたしはわたしなのか」 の問いは,《論理を以てこれを鎮める》という形で終わるものである。
    そしてその論理は,「わたしが入れ替わる」は無いとする論理と同じである。

    その論理は,まったく単純なものである:
      わたしは,()()()から派生したものである。
      わたしは,わたしが現れるまで()()()が壊れなかったので,ここにある。
      壊れていたら,わたしは無かった。
      わたしとはこういう存在なので,「他の体に現れたかも知れない」というものではない。
      「わたし」の AI アナロジー


    こうして,つぎが「なぜわたしはわたしなのか」の解決である:
    わたしの()()()については,「なぜこの体はこの体なのか」の問いは立たない。
    そしてわたしは()()体から派生したものである。
    わたしは,わたしが現れるまで()()()が壊れなかったので,ここにある。
    壊れていたら,わたしは無かった。
    わたしとはこういう存在なので,「他の体に現れたかも知れない」というものではない。
    以上により,「なぜ わたしは わたしなのか」の問いは立たない。
    「なぜ わたしは わたしなのか」の問いを立てるのは,倒錯である。