Up 論の構成 作成: 2018-03-31
更新: 2018-07-12


    論の構成を,以下のように見込む:


    (1) 自己組織化する系
    「なぜ わたしは わたしなのか」を考えられるためには,先ず,「<わたし>を現す存在」をわかっていなければならない。

    アニミズムは,無生物を生物にし,<わたし>を現す存在にする。
    無生物も生物のように見えるというわけである。
    さて,無生物が生物のように見えるとは,どういうことか。

    生物の起源は,一つの<自己組織化する系>である。
    生物のカラダは,カラダ形成に与っている様々な要素の関係性であり,自己組織化する系である。
    この系は,<定常>と<無常>の両方を実現していることになる。
    実際,<定常>が無ければ,存在であることができない。
    そして,<無常>でなければ,存続できない。

    <定常>の内容は,「新陳代謝」である。
    新陳代謝が,<定常>のダイナミクスである。

    川は,これの形成に与っている様々な要素の関係性であり,自己組織化する系である。
    これは,<定常>と<無常>の両方を実現している。
    鳥の群飛行,魚の群遊泳,自転車のロードレースも,自己組織化する系であり,<定常>と<無常>の両方を実現している。

    これらは,生物のように見える。
    生物的であるとは,自己組織化する系だということである。


    (2) 自己増殖する系
    では,生物は,自己組織化する系一般からどう区別されるものなのか。
    ──「カラダは,川や個の集団と何が違っているのか」

    生物の起源となる<自己組織化する系>は,自己複製する系である。
    実際,一個のままなら,やがて何かの事件で壊れてしまう。

    自己複製は,即ち自己増殖である。


    (3)
    自己複製は,自家的な自己複製が起源である。
    自家的な自己複製を,単為生殖と謂う。

    さらに,自分の DNA を他の個の DNA を用いて組み換えようとする個が現れる。
    この個が,有性生殖の種の起源である。

      註 : 「性」の本質は, 「DNA の組み換え」。
     ──「雌雄」以前に「性」がある。

    有性生殖の種の中から,有性生殖を<雌雄配偶子の結合>という形で成す個が現れる。
    この個が,雌雄をもつ種の起源である。

    「雌雄」の形は,多様である。
    個体の成長・生活条件によって雌雄が決まってくる,という形の雌雄がある。
    雌雄同体という形の雌雄があり,雌雄異体という形の雌雄がある。


    (4)
    有性生殖の関係でつながる個のカテゴリーを,種と謂う。


    (5) 進化
    有性生殖は自己複製を完全コピーにしないしくみであるが,単為生殖にしても自己複製は完全コピーとはならない。
    即ち,DNA の変化が確率的に発生する。
    こうして,増殖の繰り返しは,変種・異種を生み出す過程になる。

    この過程ないしダイナミクスを,進化と謂う。


    (6)
    自己増殖は,<コピー間の関係>を導く。
    この関係は,<利己>が基本である。

    雌雄異体の出現は,<利己>の形を変化させる。
    即ち,同性に対しては<排斥>,異性に対しては<獲得>,になる。

    <利己>の単位を,個と呼ぶことにする。
    但し,個の画定は,生物種によっては便宜的なものにしかならない。
    ──例:栄養繁殖する植物


    (7)
    生物の中から,動物が現れる。
    動物の<動く>は,中枢──「脳」──の命令による<動く>である。
    植物の<カラダのシフト>がボトムアップであるのに対し,動物の<動く>はトップダウンである。

    脳の命令を以て動く動物は,定形になる。
    ──脳の命令は,組織の一定形を想定して成り立つものだからである。
    動物は,植物にあるような栄養繁殖をしない。
    ──脳の配分ができないからである。

    ここに,個が明確に画定される生物の在り方が実現する。
    翻って,個を本当に措定できる生物は,脳をもつ動物である。


    (8) <わたし>
    脳をもつ動物の<利己>を,<わたし>と呼ぶことにする。

    ここで,「脳をもつ動物」の意趣は「個が画定される」である。
    個の画定を問わない<わたし>の定立は,不可能ではないにしても,面倒になりそうなので,この限定を措く。


    (9) 「なぜ わたしは わたしなのか
    <わたし>が,「わたし」ということばをもつ。
    このとき,<わたし>は,「なぜ わたしは わたしなのか」を自問するものになる。

    「なぜ わたしは わたしなのか」の問いが立てられる存在レベルは,「わたし」ということばをもつ存在である。
    それは,ヒトである。──「知る限りでは他にいない」という意味で。