Up <このわたし>の不思議 : 要旨 作成: 2016-03-30
更新: 2016-05-06


    ひとはみな,少なくとも一度は「なぜ わたしは わたしなのか」の問いに嵌まる。
      なぜ,たまたま一つの生き物が,わたしになったのか?
      この偶然は,なんなのか?
    この問いは,埒があかない。
    この問いを抱えていると,居心地が悪くなる。
    居心地が悪くなるので,この問いの保持は長くは続かない。
    即ち,捨ててしまうことになる。


    なぜ わたしは わたしなのか

    わたしという存在は,不思議である。
    では,どう不思議なのか?
    詰まるところ,<一回性> (「一度きり」「この他ではない」) ということになる。
    <一回性>は,通時的と共時的の2つである:
      《わたしは,この大きな時間の流れの中に現れた,一回性》
      《わたしは,この大きな世界の中に現れた,一回性》
    わたしという<一回性>が,不思議であり,整理がつかなくて居心地が悪いのである。


    なぜ わたしは わたしなのか」の問いは,根柢的なものである。
    なぜ わたしは わたしなのか」は,「自意識」とか「言語」とかの話ではない。
    よって,この問題は,哲学にやらせてはならない。
    哲学は,この問題を矮小化することしかできない。

    なぜ わたしは わたしなのか」の問いは,根柢的である。
    なぜ わたしは わたしなのか」は,人間のみのものではない──ミミズも同じ。
    ミミズはこの問いを立てるわけではないが,ミミズ個々の存在は「なぜ わたしは わたしなのか」なのである。

    なぜ わたしは わたしなのか」は,つぎのように考えるものである。
     《 人間のことばで思考する人工生命を二体,まったく同じにつくる。
    この二つは,互いに認識し合って,それぞれ「なぜ わたしは わたしなのか」の問いをもつ。》
    この問い──「なぜ わたしは,そっちではなくこっちなのか」──は,人工生命をつくった者にも答えられない。
    実際,製作者は,同じものをつくるということしか,していない。