Up <このわたし> : 要旨 作成: 2015-01-03
更新: 2015-01-18


    わたしには,わたしという存在が不思議である。

    わたしはどうして現れたのか?
    時空間のこの一点に,他ならぬこの一点に,どうしてわたしが現れたのか?
    いろいろある生物個体のうちのこの個体が,他ならぬこの個体が,どうしてわたしなのか?

    また,わたしには,わたしという存在が,つぎの構成でなっているように感じられる:
        わたし = わたしのカラダ +「わたし」
    カラダと別次元のものとして,「わたし」が感じられる。
    この「わたし」を,いったいどう考えたらよいのか?

      《わたし = わたしのカラダ +「わたし」》の感じがさらに進めば,カラダと「わたし」の分離の想いになる。
      実際,自分の「わたし」と相手の「わたし」が入れ替わるという内容の娯楽フィクションが,つくられたりするわけである。

    なぜ わたしは わたしなのか」の問いは,もどかしい。
    この問いの気持は,確かにひとに伝わる。
    しかし,この問いを問題として立てることができない。
    問いを理論的な形につくるということが,できないのである。


    ひとは「なぜ わたしは わたしなのか」の問いに,一生に少なくとも一度は嵌まる。
    しかし,考えても埒があかない。
    そして考えると,居心地が悪くなる。
    そこで,この問いは抑圧されていく。
    そして,消え去る。