Up <わたし>と<このわたし> 作成: 2015-01-20
更新: 2015-05-08


    「なぜ わたしは わたしなのか」の問いは,<わたし>をもつ存在に対して立つ──<わたし>をもたない存在に対しては,立たない。

    生き物の個に対し,その個の<わたし>を想う。
    これは,無理なくできることである。
    <わたし>の存在は,不思議を言うほどのものではない。
    不思議は,<このわたし>である。

    <わたし>と<このわたし>の区別を,ここでことばにしておく。


    ・<わたし>
    つぎは,娯楽フィクションになる内容である:
        「AのわたしとBのわたしが入れ替わる」
    このフィクションに付き合う気になるのは,この "わたし" をたしかに認めるからである。
    この "わたし" が,<わたし>である。

    「AのわたしとBのわたしが入れ替わる」がフィクションということになるのは,ここで設定していることになるつぎの式が,フィクションだからである:
        個体 = カラダ +<わたし>

    この式は<わたし>をカラダと並べるカテゴリー・ミステイクである:
    <わたし>は,中枢神経系──「脳」──の機能であり,カラダの含蓄として捉えることになるものである。

      特に,<わたし>は,脳をもつ生物,即ち (脳をもつ) 動物で考え得るものになる。


    ・<このわたし>
    「なぜ わたしは わたしなのか」の問いは,こうである:
      時空間のこの一点に,他ならぬこの一点に,わたしである個体が現れた。
      いろいろある生物個体のうちのこの個体,他ならぬこの個体が,わたしとなった。
      どんな機構・機序によって,こうなったのか?

    ここで "わたし" の語に託して問われている存在/対象性を, "<このわたし>" と表現する。
    よって,「なぜ わたしは わたしなのか」の問いは,つぎのようになる:
      時空間のこの一点に,他ならぬこの一点に,<このわたし>である個体が現れた。
      いろいろある生物個体のうちのこの個体,他ならぬこの個体が,<このわたし>となった。
      どんな機構・機序によって,こうなったのか?

    <このわたし>は,「この<わたし>」である。
    「なぜ わたしは わたしなのか」の後の方の「わたし」は,「この<わたし>」である。


    備考 :「自意識」
    <このわたし>を「自意識」と混同してはならない。
    <このわたし>は,存在概念である。
    「自意識」は,脳の機能である。

    「自意識」は,「なぜ わたしは わたしなのか」の問題の要素とはならない。
    よって,本論考の取り上げるものとはならない。