Up 「なぜ わたしは わたしなのか」論の構想 作成: 2018-03-31
更新: 2018-05-07


    (1) 自己組織化する系
    <わたし>を措定する対象は,生物である。
    「なぜ わたしは わたしなのか」を考えられるためには,先ず,<わたし>を措定する対象である「生物」をわかっていなければならない。

    生物とは何か?

    生物の起源は,一つの<自己組織化する系>である。
    生物のカラダは,カラダ形成に与っている様々な要素の関係性であり,自己組織化する系である。
    この系は,<定常>と<無常>の両方を実現していることになる。
    実際,<定常>が無ければ,存在であることができない。
    そして,<無常>でなければ,存続できない。

    川は,これの形成に与っている様々な要素の関係性であり,自己組織化する系である。
    その内容は絶えず変化しているが,(長い時間スパンで見るのでなければ) 川の形は<定常>を示す。 ──この<定常>の秘訣は,新陳代謝である。
    鳥の群飛行,魚の群遊泳,自転車のロードレースは,絶えず形を変える集団を形成する。
    この集団は,自己組織化する系である。
    そして,絶えず変化する形は,<無常>を示す。

    生物のカラダは,川や個の群れとどう違うものなのか。
    どちらも,組織形成に与っている様々な要素の関係性であり,自己組織化する系である。 <定常>と<無常>の両方を形に現す。
    実際,川や群集が生物でないことの説明は,存外難しいのである。
    そこで,「生物とは何か」は,<自己組織化する系>と<生命体>(「生物」) との距離を考えることから始める必要がある。
    即ち,つぎの問いから開始される:
      「カラダは,川や群れとどこが違っているのか」


    (2) 自己増殖
    生物の起源となる<自己組織化する系>は,自己複製する系である。
    なぜなら,一つのままなら,やがて何かの事件で壊れてしまうからである。

    自己複製は,自己増殖である。
    自己増殖は,<クローン間の関係>を導く。
    この関係は,<利己>が基本である。


    (3) 進化
    自己複製は,完全コピーとはならない。
    即ち,DNA の変化が自ずと発生する。
    こうして,増殖の繰り返しは,異種を生み出す過程になる。


    (4)
    やがて,DNA の自家組み換えをする個が現れる。
    この個が,単為生殖の種の起源である。

    さらに,自分の DNA を他の個の DNA を用いて組み換えようとする個が現れる。
    この個が,有性生殖の種の起源である。

      註 : 「性」の本質は, 「DNA の組み換え」。
     ──「雌雄」以前に「性」がある。

    有性生殖の種の中から,有性生殖を<雌雄配偶子の結合>という形で成す個が現れる。
    この個が,雌雄をもつ種の起源である。

    「雌雄」の形は,多様である。
    個体の成長・生活条件によって雌雄が決まってくる,という形の雌雄がある。
    雌雄同体という形の雌雄があり,雌雄異体という形の雌雄がある。

    雌雄異体の出現は,<利己>の形を変化させる。
    即ち,同性に対しては<排斥>,異性に対しては<獲得>,になる。


    (5)
    生物の中から,動物が現れる。
    動物の<動く>は,中枢──「脳」──の命令による<動く>である。
    植物の<カラダのシフト>がボトムアップであるのに対し,動物の<動く>はトップダウンである。

    脳の命令を以て動く動物は,定形になる。
    ──脳の命令は,組織の一定形を想定して成り立つものだからである。
    動物は,植物にあるような栄養繁殖をしない。
    ──脳の配分ができないからである。
    ここに,<個>という生物の在り方が実現する。

    翻って,<個>を措定できる生物は,動物である。


    (6) <わたし>
    動物の<動く>は,自ら動こうとして動くところの動くである。
    この<動く>は,<わたし>を現す。

    翻って,<わたし>を措定できる生物は,動物である。


    (7) 「なぜ わたしは わたしなのか
    <個>は,<わたし>を現す。
    この<わたし>は,「なぜ わたしは わたしなのか」を自問せねばならないわたしである。

    「なぜ わたしは わたしなのか」の問いが立てられる存在レベルは,<個>である。
    ミミズも,「なぜ わたしは わたしなのか」を問わねばならない存在である。
    即ち,「なぜ わたしは わたしなのか」の問いは,つぎのように理解せよ:
      同じスペックの AI を二個製作する。
      二つは,互いの存在を認識して,それぞれ「なぜ わたしは わたしなのか」の問いを発することになる。
      「人間がそのようにつくったから」は,答えにならない。
      人間は同じ AI をつくったのであるから。



    備考1.「自意識
    動物から「親子・兄弟」の起源となる個が現れ,「親子・兄弟」を営む種に進化する。
    また,「社会」の起源となる個が現れ,「社会」を営む種に進化する。

    「自他」は,<利己>を基本的契機とし,親子・兄弟,社会等の関係性の中で醸成が進行する。
    自他関係の中に措かれた個は,「自意識」を現す。

    翻って,「自意識」の主題化が可能になるのは,親子・兄弟,ないし親子・兄弟をベースとした社会を営む種くらいから,ということになる。

    「自意識」がどの程度の主題なのかを理解するためには,思考実験の趣で AI を考えるとよい。
    AI は,特段高度に作り込まずとも,即ち,チープな形態でも,<行動において「自意識」を現す生命体>レベルくらいのものには,つくっていくことができる。
    即ち,「ネットワーク生命」として,
      DNA をもち,
      有性生殖 (DNA の組み換え) を行い,
      「親子・兄弟」や「社会」を営み,
      そして,生まれて死ぬもの
    へと,進化させることができる。

    「自意識」は,「なぜ わたしは わたしなのか」の問題の要素ではない。


    備考2.「独我論
    「なぜ わたしは わたしなのか」の問いに対する哲学的リアクションは,「独我論」が一つのタイプになる。
    「独我論」がナンセンスなことは,つぎの思考実験からわかる:
      人間のことばで思考する AI をつくる。
      この AI は,「なぜ わたしは わたしなのか」の問いをもつ。
      そして,
        「世界とは,わたしに開示される世界のことである」
        「わたしが存在することが,わたしに世界が開示されることである」
      のロジックを経て,
        「世界とは,わたしのことである」
      の考え──「独我論」──に至る。
      われわれは,この AI の独我論を幼稚な考えとして観察することができる。
      なぜなら,《世界は,この AI のことではない》を知っているからである。