Up 波 : 要旨 作成: 2017-11-03
更新: 2017-11-05


    生物は,大きい・小さいに限度がある。
    ある大きさ・小ささを超えると,生物として存在するための条件が満たされなくなるからである。

    物も,大きい・小さいに限度がある。
    ある大きさ・小ささを超えると,「物」の(てい)を成さなくなる。
    大きい・小さいとは,人にとって普通の物のサイズがそのまま大きくなる・小さくなるということではない。


    このことを知らせてくれるのが,量子力学である。
    量子力学のスケールでは,物は存在しない。
    このスケールでは存在はどんなふうになるかというと,「波」になる。
    但し,物は存在しないから,「媒質」の無い波である。
    「何かの波」ではなく「波自体」ということになる。
    「波」といっても,日常語でいう「波」ではない。

    しかし,「物ではなく波だ」のような言い方をすると,人の日常の世界も「存在」はむしろ「波」である。
    実際,カラダ,日常生活,社会・経済,生態系,自然現象──すべて波である。


    西洋哲学の存在論は,空回りの論になる。
    理由は,それが「物」論だからである。
    「波」の観念がもたれていないのである。
    「波」の観念がもたれていれば,存在論は随分と形を変えることになり,随分とましなものになっていた。

    関連して,東洋思想の存在論は,「波」論である。
    しかしこれは,思想の土壌に「分析」の方法論が無かったため,科学へと進むことがなかった。