Up 「薄めれば安全」パラダイム 作成: 2023-07-22
更新: 2023-07-22


読売新聞, 2023-07-21
 

https://www.youtube.com/watch?v=pdGYhxhc2VU



    汚染物質の安全評価には,総量と濃度がある:
    1. 「少しなので,安全」
    2. 「薄いので,安全」

    この二つは,都合で使い分けられる。
    状況・立場・思考回路の違いでその都度使い分けられるパラダイム,というわけである。

    「CO2排出」は,いまは「脱炭素」が商売になるので,総量パラダイムが用いられる。
    福島第一原発の核崩壊物質汚染水は,貯蔵が限界で海に放出するしかないので,濃度パラダイムが用いられる。
    他の国がこれをやったら,総量パラダイムで批判することになる。


    もっとも,都合とはいえ「薄めているから安全」を使うのは,パンドラの箱を開けるみたいなことにはなる。
    あれは何だっとのか?!」になるからである。

    昔は,工場排水は,そのまま川や海に流していた。
    工場排気は,そのまま大気中に放出していた。
    実際,だいたいのことは「薄まるから安全」になってくれる。
    ──生態系に被害はあるが,ひとにとって「被害」は,「見えなければ被害はない」というものである。

    そして今も,汚染事故を起こしてしまったときは,「薄まっているから安全」を使うことになる。
    ただし,農林水産の生業(なりわい)を守るときは,「薄まっているから安全」では足りない。
    「汚染されていない」にしなけらばならない。
    このとき使われることばが,「風評被害」である。
    実際は「汚染されていても薄いので安全」なのであるが,ひとは「風評被害」のことばから「汚染されていないから安全」をかってに受け取ってくれるというわけ。


    「安全」は,「人間の都合」の話である。
    ひとは「日本人なら日本に不利な言動をするわけがない」で高揚する。
    しかしこれは,「是非も無し」なのである。
    人間とはそういものなのである。

    この「人間喜劇」を主題化する科学は, 「生態学」である。
    「パラダイム」「生態学」の概念に親しむべし。
    このことばは,物事に善悪・真偽など存在しない,を言うためのものである。

    日本人なら日本に不利な言動をするわけがない」キャンペーンに煽られぬよう。
    「日本」を「(むら)」「組」「会」に置き換えてみよ。
    唱えていることは,「同調圧力」「組織的隠蔽」なのである。