Up | 人が燃料として使えるのは,生物体 | 作成: 2023-06-21 更新: 2023-06-21 |
燃料は,生き物の死骸や排泄物である。 排泄物も生き物由来であるから,結局,燃料は生き物の死骸である。 おじいさんは,燃料が要るときは山へ柴かりに行く──と相場は決まっている。 このバリエーションは,乾燥した牛の糞を採るとか,露天の石炭を採るとか,である。 水素を採る,とはならない。 水素を採るのは,おじいさんには無理なのである。 生物がいない/いなかった星は,人が燃料にできるものがない。 水素燃料をつくろうとしてもダメである。 水素燃料をつくるためには,燃料が要るからである。 よってそこは,人の棲むところではない。 生物体は,なぜ燃料になるのか? CO2 と日射エネルギーから炭素を固定する生物が現れた。 その生物から始まる食物連鎖は,炭素連鎖になる。 炭素は燃えるから,生物体は燃料になる。 生物体燃料は,燃やすと CO2 に返る。 CO2 は,生物がこれから再び炭素を固定する。 地球に生物が現れてから長い時間が経っているので,この循環は平衡に達していることになる。 しかしここに,この平衡を壊す者が現れる。 それは,生態系を急速に壊し,<燃えることなく堆積した生物遺骸>を急速に燃やす者,即ち人間である。 これまでの平衡が崩れ,新しい平衡が現れることになる。 ここでエコロジストは,「CO2 排出地球温暖化」のストーリーをつくる。 そして,「カーボンニュートラル」「クリーンエネルギー」を訴える。 「カーボンニュートラル」の意味は, 「CO2 を出した分だけ CO2 を何かの中に閉じ込める」である。 「クリーンエネルギー」の意味は,「CO2 を出さないでエネルギーをつくる」である。 ひとは,彼らの言をそっくり信じる。 しかし,「カーボンニュートラル」「クリーンエネルギー」を実現しようとすれば,莫大な量のエネルギーを投入することになる。 そのエネルギーは,従来の燃料を燃やしてつくることになる。 「CO2 を増やさない」をすることは,これまでをはるかえに超える量の CO2 を排出していくことである。 ひとは,このことが見えない。 あるいは,追求しない。 あるいは,見ないことにする。 「見えない」は,無知による。 「追求しない」は,自信が無いか,同調を生き方にしている場合である。 そして「見ないことにする」は,「莫大な量のエネルギーを投入」に一枚加わって利益を得ようという場合である。 ということは,「CO2 を増やさない」と言って,これまでをはるかえに超える量の CO2 を排出していくようになるということ? そうはならないので,心配無用。 その前に,特に技術面のハードルの高さがわかって,うやむやに途中放棄となる。 「人が燃料として使えるのは,生物体」──これは,どうしようもないことなのである。 |