Up | 国立公園とメガソーラーの相性 | 作成: 2024-08-03 更新: 2024-08-03 |
メガソーラーは,ソーラーパネルで地表を広く覆う。 そこはサバクである。 そしてその設備は更新されないことになるので,そこは広大な粗大ゴミ廃墟になる。 (電力事業は今後右下がりになり,太陽光発電は採算が取れなくなる。) ひとは,国立公園のこのメガソーラー侵出を,いぶかしく思う。 ひとは「国立公園」を,「自然保護のために国立公園と定めた」と思っているからである。 この認識は,間違いである。 「国立公園」は,観光業が目的である。 生業がラクでない土地柄の自治体は,この土地柄が却って観光業を興せるものになるとわかると,「国立公園」の指定をもらって観光で生きていこうとする。 ひとは,自分の棲むところに,「自然」の価値を見るものではない。 アマゾンの熱帯雨林が伐採され続々無くなっていくことには腹を立てる者も,自分の棲むところは,アスファルトや砂利を敷いて植生を無くし,あるいは耕起して畑にするということを,せっせとやっているわけである。 「国立公園」の指定をもらうことに躍起になっている自治体は,「自然」の価値を見ているわけではない。 「花より団子」なのである。
従来の生業でやっていくことが難しくなった日本は,日本の土地柄が外人観光客を呼びよせることに気づき,富裕外国人相手の観光商いで生き延びることにした。 「ユネスコ世界遺産」の指定を数多くもらうことに躍起になっている日本は,「国立公園」の指定をもらうことに躍起になっている地方の自治体と,構造は同じである。 「国立公園」になっている自治体は,農業がもともとの産業である。 その農業は,全国的なことだが,ひとの都会指向と高齢化によって,衰退産業になっている。 牧畜は,飼料の高値等によって,採算の取れない産業になっている。 こうして廃業しようとする者が相次ぐことになる。 廃業は,土地の売却となる。 しかし農地の売却は,農地法によって制限されている。 衰退産業の農業を引き継ごうとする者はいないから,農地として売却することは無理。 そこで, 「農地転用売却」の形をとることになる。 国立公園でのメガソーラー建設が進行しているということは,メガソーラー建設を理由にすれば自治体は農地の転用売却を許可しているということである。 いまはまだひとが「太陽光発電はクリーンエネルギー」と思わされているので,この農地転用売却は問題にされないだろうというわけである。 国立公園に進出のメガソーラー企業は,近年は外国企業が目立つ。 こうなるのは,「国立公園=自然保護」の呪縛から最初からフリーなのが,<外部者>だからである。 これに反感をもつのは,お門違いである。 グローバリズムを唱えて海外進出する日本企業は,同じことをしている。 このように国立公園とメガソーラーは,セットで,地方生き残り (再生) のソルーションになっている。 したがって国立公園は,いまからは「景観の中に外国資産のメガソーラーがある」が当然となる。 この話の要点を間違えないようにしよう。 この話の要点は,「ひとは自分の棲むところに自然の価値を見るものではない」である。 例えば,メガソーラー建設が進行している国立公園のひとつである「釧路湿原国立公園」。 これが国立公園になったのは,1987年である。 それ以前は,湿原を価値あるものとする考えは無かった。 実際,北海道は湿原だらけであった。 ひとは,湿原を農地に替えることに,頑張ってきた。 こうして,「農地は期待できない」となるような湿原が,最後に残った。 釧路とか稚内とか洪水がふつうの石狩川河口域とかの湿原が,これである。(いまはこれも,僅かに残っているという
原生林を伐採して木材になる針葉樹の植林に替えることも,当時は正義であるように謳われていたのである。(前者を「不経済林」, 後者を「経済林」と呼んだ。) しかし「農地は期待できない」だった湿原の土地も,いまはメガソーラーの適地になる。 湿原が金を生むようになったのである。 こうして,「釧路湿原国立公園」のいまのメガソーラー進出がある。 メガソーラーを建設することは,そこをサバクにすることである。 そしてこの生態系破壊を問題にする声が,いまはだんだんと上がるようになってきた。 しかし結局, 「花より団子」。 「花」を損なうことは,観光業を生業にする者にとっては不利である。 しかし,「花より団子」はお互いさま。 「花」を損なっていることをごまかして,観光業をやっていくことになる。 そして観光客も,これに簡単に騙されてくれる。 |