Up アニミズム 作成: 2021-11-18
更新: 2021-11-18


      Wohlleben (2015), p.56
    木に学習能力があるのなら (その証拠はたくさん見つかっている)、学んだ知識はどこに記憶されているのだろうか? 木は、情報の保存や加工をつかさどる脳をもっていない。 樹木だけでなく、すべての植物がそうだ。 そのため、研究者の多くは植物に学習能力があることを疑っている。 林業関係者においても、それはただの空想だと考える人が少なくない。
     しかし、木の学習能力についてもオーストラリアの研究者モニカ・ガリアーノが証明してくれた。 彼女は熱帯植物のミモザを研究した。 ミモザは高く育たないので木より研究がしやすく、触れると羽根のような葉を閉じるという習性をもっている。 検証するために、ミモザの葉に一定の間隔で水滴を落としてテストした。 初めのうちは葉がすぐに閉じたが、しばらくすると水滴を落としても葉は開いたままで閉じなくなった。 閉じなくても危険ではないと学んだからだ。 さらに驚いたことに、数週間の中断をはさんでからテストを再開すると、ミモザは前回の学習したことを覚えていたのだ。


    すぐ目につく論のおかしさは,熱帯植物ミモザの研究である。
    そのミモザは,これまで雨にあたったことがなかったのだろうか?

    しかし,そんな粗忽を突いてもつまらない。
    問題は,なぜひとは自然現象に「自己組織化する主体」を読みたがるのか,というところである。

      ちなみに,「自己組織化する主体」を地球にまで及ぼすのが,「ガイア理論」である。

    答えは,「ひとの知能はアニミズムまで」。
    ひとは,系の自己組織化を主体抜きで考えることができない。
    言い換えると,主体の無い自己組織化の概念を,理解できないのである。


    無生物と生物は連続している。
    生物も,物理・化学的系であり,それ以上でも以下でもない。
    「自己組織化」は,物理・化学的反応である。
    そして物理・化学的反応は,物理・化学的理に対する系の順応である。

    水は,容器に応じて形を変える。
    水は,油に対し反発する。
    それは系の自己組織化であり,そして物理・化学的理に対する系の順応である。
    ひとは,体制に応じて思考・行動を変える。
    ひとは,異質なものに対し反発する。
    それは系の自己組織化であり,そして物理・化学的理に対する系の順応である。


    木に「学習する主体」を想うのは,倒錯である。
    アニミズムの倒錯である。

    翻って,ひとは自分には主体があると思っているが,これも錯覚である。
    自分には主体があると思うことも,物理・化学的理に対する系の順応のうちである。


    「主体」を主題化する形は,「主体とは何か」ではない。
    「歴史──これには<自分には主体があると思う存在>を現すことが含まれる──とは何か」である。

    ダーウィンの「進化論」は,生物に焦点を当てた歴史論である。
    アニミズムは,生物がなぜ斯くあるかを「知能」で説明する。
    斯くあるべしを学習して,斯くある」と説明する。
    これに対し進化論は,生物がなぜ斯くあるかを「自然選択」で説明する。
    斯くあるようになるものが選択されて現前している──それらは斯くある」で説明する。

    ひとは,自分は特別であり,そしてこの特別は「主体の特別」であると思う。
    そう思っておればよい。
    ひとはそう思うようになっている。(斯くあるものとして自然選択され現前している!)
    しかしひとの思う「主体は個々に特別」は,事実は「ヒトの潜在性の発現/実現は個々に特別」なのである。


    引用文献
     Wohlleben, Peter (2015) :
       Das geheime Leben der Bäume : Was sie fühlen, wie sie kommunizieren ─ die Entdeckung einer verborgenen Welt.
    Lutvig Verlag, 2015.
    長谷川圭[訳]『樹木たちの知られざる生活──森林管理官が聴いた森の声』, 早川書房, 2017.